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戦力外から2億円プレーヤーへ――リストラをバネに這い上がった男たち

11/7(木) 17:21配信

THE DIGEST

 10月24日で戦力外通告の通達期間が終了し、今年も12球団合計で102人が非情な通知を受けた。

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 だが、たとえ戦力外通告を受けたからといって、あきらめるにはまだ早い。戦力外から這い上がり、再び第一線で活躍した選手は過去に何人もいる。今回はそのうち、特に実績を残した8人を紹介しよう。

▼山本和範(元南海・ダイエーほか/外野手)
 1976年のドラフト5位で近鉄バファローズに指名されたが、在籍6年でわずか6安打。82年オフに自由契約となるも、現役続行をあきらめきれない山本は、バッティングセンターに住み込みで働きながらオファーを待つ。その苔の一念が通じたのか、83年に南海ホークスに入団。

 雪辱に燃えた山本は、新天地で外野のレギュラーをつかみ、85年に全試合出場、86年にはオールスター出場を果たし、ゴールデン・グラブ賞も獲得する。94年には、あのイチローと首位打者を争った。惜しくも敗れはしたもののリーグ2位の好成績で、年俸も2億円に到達した。

 しかしこの高年俸がネックとなって、46試合の出場に終わった翌年オフにまたも自由契約。すでに39歳と高齢だった山本は古巣・近鉄に拾われると、2年連続2ケタ本塁打を放って再度復活を果たす。99年限りで引退したが、現役最終打席でも意地のホームラン。諦めない姿勢を最後まで貫いた選手だった。
 
▼畠山準(元大洋・横浜ほか/外野手)
 82年夏の甲子園大会で優勝した池田高のエースで4番だった畠山は、同年のドラフト1位で南海ホークスへ入団したが、投手としては伸び悩んだ。1年目は0勝3敗、防御率6.07。2年目は規定投球回に到達するも5勝12敗と大きく負け越し。結局5年目までに6勝しかできず、故障もあって88年から打者に転向した。だが打率2割を超えるのもやっとの有様で、90年限りで戦力外に。

 しかし翌年、大洋ホエールズの入団テストを受けて合格したのを機に開花。3年目の93年にはライトのレギュラーに定着し、この年から3年連続でオールスターにも出場した。96年からは鈴木尚典や佐伯貴弘らの台頭もあって出場機会が減少し、99年オフに再び戦力外通告を受け引退。現在はDeNAの球団職員を務めている。

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最終更新:11/9(土) 8:21
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