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なぜ途中で辞任しなかったのか? 津田大介「表現の不自由展・その後」展示中止から再開まで、激動の75日間を語る

11/7(木) 11:00配信

文春オンライン

「表現の不自由展・その後」の展示中止、そして最後の7日間の再開に最大の注目が集まった「あいちトリエンナーレ2019」。激動の75日間について、芸術監督を務めた津田大介さんに近現代史研究者の辻田真佐憲さんが聞きました(全3回の1回目/ #2 、 #3 へ続く)。

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まだトリエンナーレの悪夢を見る

――ご無沙汰しております。津田さんは、ジャーナリズムとアカデミズムの垣根を超えて、ネット、音楽、社会問題など多方面で旺盛に活躍している稀有な書き手のひとりだと思います。リベラルの論客でありながら、会社経営者でもあるという背景も興味深く、一度しっかりお話をお聞きしたいと思っていましたが、まずは、今回の「あいちトリエンナーレ2019」について伺います。閉幕までお疲れさまでした。

津田 ありがとうございます。残務も結構ありますし、終わった実感はあまりなくて、毎日まだトリエンナーレに関係する悪夢を見ます。会期中はそれだけ緊張状態にあったんだな、と。

――8月1日から10月14日、75日間の会期を振り返って、いかがでしたか。

津田 毎日予想もつかないようなトラブルが尋常じゃない量降りかかってくる感じで、昼夜問わずその対応に明け暮れていました。飛行機に例えれば、離陸はできたものの、離陸直後にドーンと大きな音がして、エンジンに大きなトラブルが起き、とにかくその状況で墜落だけはしないようにフラフラ運転を続けたのが8月から9月にかけて。企画展「表現の不自由展・その後」(以下、不自由展)の再開という目的地を決めてからは、そこへ着陸するために何ができるのかを日々模索していました。

――一番大変だったことは何でしたか。

津田 一言でいうと、関わっている人たちはすべて正しいことを言っているのに、全員の主張に基づいて事を進めようとすると利害衝突が起きてしまってうまく進められなかったということに尽きますね。衝突した要素は多岐にわたるのですが、大きく言えば2つ。ガソリンテロ予告が起き、現場が電凸(電話、FAX、メールなどによる攻撃)で破壊し尽くされてしまっていたので、「すぐに展示再開できるわけではない」というあいちトリエンナーレ実行委員会側の見解があり、他方で、不自由展実行委員会や不自由展の参加アーティストたちは「自分たちは被害者であり、表現の機会が奪われている。一刻も早い再開を」と主張する。どちらも間違っていないから難しいんです。

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最終更新:11/7(木) 11:12
文春オンライン

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