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初恋を貫き7年、恋が成就した浩宮さまの喜びと雅子さまの「キャリアより結婚」の決断

11/7(木) 14:30配信

webマガジン mi-mollet

「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」。
1993年(平成5年)1月19日、皇太子浩宮さま(今の天皇陛下)と雅子さんの婚約会見が開かれました。雅子さんは、浩宮さまの誠実な言葉に心打たれたといいます。
そうしてお二人は、ご結婚に向けて歩んでいくことになりました。

雅子さまと皇太子さまの愛溢れる仲むつまじい写真

 

浩宮さまの幼い日の夢がかなう

婚約会見に臨まれた皇太子さまの印象は、実にすばらしいものでした。そのりりしさ、誠実さ、真摯な態度は、美智子さまの家庭教育のたまものであると思います。

雅子さんに一目ぼれしてから、初志貫徹してご婚約されるまでに7年という歳月が流れました。美智子さまが子育てで最も大切にされていたのは、「やり始めたことは、最後までやり抜く」ことでした。
プロポーズして、たとえ一度や二度断られても、体勢を立て直して目標に向かって再びチャレンジする皇太子さまの粘り強い性格は、美智子さまの教育によるものでしょう。

ちょうどそのころ、1月14日に皇居・宮殿「松の間」で、新春恒例の皇室行事「歌会始(うたかいはじめ)」が行われました。平安時代の雅(みやび)を今に伝える優雅な催しです。
その年の御題は「空(そら)」。浩宮さまは、このような歌を詠まれました。

大空に舞い立つ鶴(たづ)の群(むれ)挑(いど)む
幼な日(び)よりのわが夢なかふ

初恋を成就された皇太子浩宮さまは、ご自分のお気持ちを和歌に託され、おおらかに、そして正直に詠まれました。

昔から鶴はおめでたい鳥とされ、「鶴は千年、亀は万年」などといって長寿の象徴と考えられてきました。
幼いころから学んだり、細かく調べることがお好きだった浩宮さまは、ご自分の気持ちを鶴に寄せて、「幼な日よりのわが夢かなふ」と恋の成就を誇らしげに歌いあげたのでしょう。
 

やりがいを感じた外務省に別れを告げて

「長い間、お世話になりました」
2月9日、雅子さんはお別れの挨拶のため、5年9カ月勤めた霞が関の外務省を訪れました。

1月18日に提出した「辞職願」は、翌19日の皇室会議に先立って受理されました。そのため、1月4日の新年初出勤が、雅子さんにとって最後の出勤となったのです。
外務省を辞めることについて、婚約会見の際に、雅子さんはこう述べられました。

「6年近く勤めた外務省を去ることに、寂しさを感じないと申しましたらうそになると思います。外務省では大変やりがいのある仕事もさせていただいておりましたし、大変学ぶべきところの多い尊敬すべき先輩や同僚にも恵まれて、とても充実した勤務でございました。
でも、昨年(平成4年)の秋、本当にいろいろと考えた結果、いま私の果たすべき役割というのは、殿下からのお申し出をお受けして、皇室という新しい道で自分を役立てることなのではないかと考えましたので、決心したわけです。今、悔いはございません」

 国際舞台で人の役に立ちたいという気持ちから外交官としてのキャリアを積んで6年、外交官という仕事だからこそわかった天皇家の重みと影響力が、皇太子妃への決断になったのかもしれません。

1カ月ぶりにかつての職場である外務省7階の北米第二課を訪問した雅子さんのまわりには、自然と人の輪ができました。上司や同僚たちに囲まれると、緊張続きだった表情がほころび、いつしか笑みがこぼれるのです。

そのときの雅子さんの脳裏には、足掛け6年に渡る外務省での仕事の思い出が、走馬灯のように駆け巡っていたことでしょう。

「うちの省は実力主義で男女の隔てはないところだけど、彼女の仕事はまさに男勝(おとこまさ)り。徹夜もするし、自分の主義主張も通す。特に語学の能力は高かったです。英語の文章では、名文家で通っていました」

同僚の一人は、雅子さんの仕事ぶりをこう評しました。雅子さんは、英語をはじめフランス語やドイツ語も堪能なばかりか、日常会話程度ならロシア語、スペイン語、韓国語などもこなすといいます。

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最終更新:11/9(土) 21:00
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