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100万人以上が虐殺されたルワンダのジェノサイドの虐殺者フツ族と犠牲者ツチ族との間の圧倒的な距離【橘玲の世界投資見聞録】

11/7(木) 21:00配信

ダイヤモンド・ザイ

 1994年4月、人口730万の東アフリカの小国ルワンダで、わずか100日のあいだに100万人以上が虐殺されるという大規模なジェノサイドが起きた。犠牲になったのは少数派(人口の15%)のツチ族で、加害者は多数派(同85%)のフツ族だ。

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 その3カ月後、隣国ウガンダから進軍したルワンダ愛国戦線(RPF/Rwandan Patriotic Front)が権力を掌握すると、報復を恐れたフツ族は西に向かって逃亡し、コンゴ民主共和国との国境にあるキブ湖北岸のゴマに巨大な難民キャンプをつくった。

 欧米のメディアが、ジェノサイドの加害者である難民たちを犠牲者であるかのように報じ、それを利用して欧米の人道団体が、寄付集めのために「虐殺者」を積極的に支援した経緯については前回述べた。

 [参考記事]
●ルワンダの大虐殺後に加害者側を援助し、報道したメディアとそのフェイクに興味を示さなかった世間の不都合な真実

 新生ルワンダにとって、国境の向こうにある難民キャンプは重大な脅威だった。キャンプを支配していたのはフツの過激派で、難民たちにツチへの憎悪を植えつけると同時に、人道団体からの支援金を詐取するなどして武器を購入し、ルワンダ国内に侵入しては殺人・強奪を繰り返していたからだ。

 1995年末時点で、ゴマにある4つの主要難民キャンプにはバー2324軒、レストラン450軒、ショップ590軒、美容室60軒、薬局50店舗、仕立屋30軒、肉屋25軒、鍛冶屋5軒、写真スタジオ4軒、映画館3軒、2軒のホテルと食肉解体場が1カ所あった。これらはすべて、人道団体の援助でつくられたものだ。働かずに安楽に暮らせるのなら難民たちはキャンプに定住し、半永久的にルワンダ国内へのテロが続くことになる。

 そのためルワンダ軍はキャンプの撤収を指示し、15万人におよぶ難民を国内に移送させた。その背景には、ジェノサイドによる人口の激減で、荒れ果てた農地を耕す労働力が必要だったという事情もあるようだ。

 こうして、多くの「虐殺者」がルワンダに帰還した。だがそこには、ジェノサイドを生き延びたサバイバー(生存者)が暮らしていた。

ツチ系住民およそ5万9000人のうち5万人が殺された
 フランスのジャーナリスト、ジャン・ハッツフェルドはジェノサイドの直後にルワンダに入り、キガリの南30キロのほどのところにあるニャマタで生存者の体験の聞き取りを行なった。

 ニャマタでは4月14日からの3日間で教会に集まった5000人の避難民が虐殺され、RPFによって解放される5月14日までのあいだに、ツチ系住民およそ5万9000人のうち5万人が殺された。聞き取りの成果は2000年に“Life Laid Bare The Survivors In Rwanda Speak(裸のまま放置された人生 ルワンダのサバイバーは語る)”にまとめら、『隣人が殺人者に変わる時 ルワンダ・ジェノサイド 生存者たちの証言』(かもがわ出版)として翻訳された。

 ハッツフェルドは生存者の話を聞いたあと、誰もが思い浮かべる疑問を抱いた。なぜこんなむごいことができるのだろうか。加害者たちはいま、なにを考えているのだろうか。そんなとき、難民キャンプから大挙してフツ族がニャマタに戻ってきた。

 ハッツフェルドは2003年に刊行された第2作の“Machete Season(マチェーテの季節)”で、ニャマタ近郊の刑務所に収監されている10名のフツの加害者のインタビューをまとめた。マチェーテはルワンダの農民が使う山刀で、フツの男たちはこれでツチの四肢や首を切断した。こちらは『隣人が殺人者に変わる時 ルワンダ・ジェノサイド証言 加害者編』(かもがわ出版)として翻訳された。

 それからほどなくして、刑務所に収監されていたフツの男たちは、ルワンダ政府の和解政策によって故郷に戻ることになった。こうして生存者は、自分の家族を殺した男たちと“隣人”として暮らすことを余儀なくされた。2007年に刊行されたハッツフェルドの第3作“The Antelope’s Strategy(アンテロープの戦略)”は、帰還した「加害者」とそれを受け容れる「被害者」双方のインタビューを収録し、『隣人が殺人者に変わる時 ルワンダ・ジェノサイド証言 和解への道』(かもがわ出版)として翻訳されている。

 私がこの三部作を手に取ったのは、ジェノサイドの加害者が自らの行為をどのように考えているのか(第2作)、これほどまでの悲劇を経たあとに「和解」がほんとうに可能なのか(第3作)を知りたかったからだが、その前にまず生存者がどのような体験をしたのかを述べておかなくてはならない。

 以下に、「生存者の証言」から一部を引用する。語っているのはジャネッテ・アインカミエという17歳の農婦で、ジェノサイドの当時は母親と2人の妹といっしょに1カ月のあいだ沼地に隠れていた(以下、引用元は『生存者の証言』『加害者編』『和解への道』と表記する)。

 私たちはたいてい小さな集団で隠れていました。ある日、インテラハムエ(フツの民兵集団)がパピルスの葉の下にいるママを発見しました。ママが立ち上がり、お金を払うからマチェーテのひと振りで殺してくれと申し出たとき、彼らは服をはぎとり、お金を奪いました。そして両腕を切り落とし、その後両足も切り落としたのです。(中略)
 二人の妹たちはママの隣にいて、一部始終を見ていました。彼女たちも同様に暴行を受けました。ヴァネッサは足首を、マリークレイは頭部を切りつけられました。(中略)彼らが去ったあと、私は穴から出て、ママに水を飲ませました。
 その日の夕方、ママはまだ話すことができました。「ジャネッテ、私は希望を持たずに旅立つわ。あなたも私に続くと思うから」、ママはそう言いました。深い傷を負い、苦しんでいたママは、これからみんな死ぬのだと言葉を続けました。瀕死の妹たちの手当てをしなければならず、私はママとは一緒にいられませんでした。(中略)
 ママは激痛の中、死ぬまでの三日、耐えました。二日目には、ただ「さようなら、子どもたち」とだけつぶやき、水を欲しがりました。しかし、ママはまだ人生を終わらせることができませんでした。でも私は彼女の最期を悟りました。すべてを失い、苦しみが最後のパートナーとなった人にとっては、死にゆくことがあまりにも長い試練で、あまりにも無益なものだと言えます。
 三日目、ママはもはや飲み込むことができなくなり、ただ一言二言つぶやきながら周りを見たままで、彼女は再び目を閉じることはありませんでした(『生存者の証言』)。

虐殺を“Work(仕事)”と呼んだフツ族の加害者たち
 難民キャンプから帰還したフツの男たちは、当然のことながら、ツチの生存者からの報復を恐れていた。同時に、裁判にかけられて死刑になったり、長期刑を宣告されることも不安だった。これでは外国人ジャーナリストのインタビューに応じることはないだろうし、たとえ応じたとしても本心を語ることはないだろう。

 だがハッツフェルドは、ある条件の下ではフツの加害者にちゃんとしたインタビューができることに気づいた。ひとつは、刑務所に収監されていること。彼らはツチの生存者の報復から守られている。もうひとつは刑が確定していること。外国人に話したことが外国で出版されても、ルワンダでは誰も気にしないから裁判後に不利になることはない。

 こうしてハッツフェルドは、ニャマタ出身の確定囚のグループに接触し、何度も刑務所に通って彼らの話を聞いた。彼らの全員が、ジェノサイドの前までは「土地や作物、なんらかの被害や女性をめぐってツチの隣人と口論したこと」はなかった。

 「殺人者」たちの主張はとてもよく似ており、誰もが「ツチを殺さなければ自分たちが殺された」と述べた。これは言い逃れというわけではなく、フツの民兵たちは真っ先に穏健派のフツを殺し、それからツチの虐殺に取り掛かった。ニャマタの男たちには、マチェーテを手に“狩り”に参加する以外の選択肢はなかった。

 理解に苦しむのは、彼らが虐殺を“Work(仕事)”と呼んでいることだ。“Job(作業)”“cutting(切る)”“pruning(刈り込む)”というバナナ栽培の用語もよく使われた。マチェーテを手に農地に向かいバナナの葉を刈るように、彼らは毎朝サッカー場に集合し、マチェーテを持って人間を狩った。それが「仕事」になるのは、ツチを殺せばその財産が手に入るからだ。

 ツチは牧畜民なので牛を飼っている。フツには牧畜の習慣はないため牛はすべて屠られ、毎晩、ビールやウルワグワ(バナナ酒)を手にバーベキューパーティが開かれた。所有者のいなくなった家は略奪され、家財道具はすべて持ち去られた。とりわけ貴重なのはトタン板だが、これはルワンダで、屋根に使われるトタン板の枚数が富の象徴とされていたからだ。

 ちなみにここで紹介する加害者は「後悔する抑留者の会」というグループに属しており、刑務所に収監されているフツ族のなかではジェノサイドを「反省」している少数派だ。――ジェノサイドを反省していない囚人は、外国人のインタビューに応じる理由はない。そのことを念頭に置いて、彼らの証言を読んでほしい。

 インタビューに答えているのは20歳から62歳までの男たちだが、その証言はとてもよく似ているので、証言者を個別に紹介することはしない。

「殺しは農業ほど疲れる仕事ではなかった」
 自分たちが行なった虐殺について、加害者はどのように語るのだろうか? 

 骨の折れる刺激的な日々だった。何人殺したか数えることさえしなかった。終わったと思ってもまた始まるとわかっていたので、行動の最中も、終わってからも、数えなかった。本当に、何人殺したかわからないんだ(『加害者編』)。

 人を切れば切るほど、切るという行為は子どもの遊びのようになっていった。一部の人にとっては、こういう言い方が許されるなら、それは特別な楽しみになっていたんだ(『加害者編』)。

 殺しは農業ほど疲れる仕事ではなかった。沼地では、殺す人を探してのろのろ歩き回っていても罰を受けることはなかった。私たちは照りつける太陽から逃れ、怠けていると思われることなしにおしゃべりをして時間を費やすことができた。働く時間は、畑にいる時程長くはなかった。略奪する時間を確保するために、3時には仕事から戻った。干ばつに思い悩むこともなく、毎晩やすらかな眠りについた。農民としての苦痛を忘れた。そして、ビタミン豊富な食べ物を腹いっぱいに詰め込んだ。
 朝、俺たちは厚い肉を焼いて、夜にはさらに多くの肉を焼いた。結婚式でしか肉を食べたことがない奴でも、来る日も来る日も肉をたらふく食べた。(中略)新しい仕事のおかげで生活が豊かになった。沼地で走り回って疲れることも、厭わなくなっていた。仕事がうまくいけば幸せだった。作物も鋤も、もう捨ててしまった。もう農業について話すことはなくなっていた。何の心配事もなくなった(『加害者編』)。

 「彼ら(加害者たち)が見せる穏やかさは、とても非現実的で常軌を逸している」と、インタビューしたハッツフェルドは述べている。「彼らの中の誰一人として、精神的苦痛のごくわずかな徴候さえ示していないのだ。何らかの心の動揺を示す者もいないし、彼らに聞いても、心の問題を抱えている者はほとんどいないという。収監されることで、後悔や不平、ホームシック、落胆、病気といったものはあるが、けっして自分たちがマチェーテを振るったことで憂鬱になるということはないのだ」

 これは一般の常識に反して、ひとを殺すことがさしたるトラウマにならないことを示している。戦争も同じだろうが、誰もがやったことで自分だけが苦しむ理由はないのだ。

 では、フツの女性たちは殺しを嫌い、平和を求めたのだろうか。たしかに彼女たちは、殺戮には積極的に参加しなかった。これについては、2つの証言を紹介しよう。

 女性にとって、(ジェノサイドの最中の)生活はとりわけ平穏だった。彼女たちは畑や市場での仕事を捨てたわ。もう植物を植えたり、豆の鞘を取ったり、市場まで歩く必要はなかった。ただ探し求めれば欲しいものを見つけることができたもの(『加害者編』)。

 女たちは廃墟に潜んでいたツチの女や子どもを追い出して、いかに残酷になれるかを張り合っていた。だけど、一番目立っていたのは、織物やズボンをめぐる争いだった。遠征の跡には、死体をあさって服を剥ぎ取るのだ。犠牲者がまだ息をしていると、工具や何かで致命的な一撃を与えるか、あるいは最後の一息を見届けることなく背を向けて置き去りにするとか、好きなようにしていた(『加害者編』)。

「神」が加害者の罪の意識を軽くしそれにより被害者をさらに苦しめる
 新生ルワンダ政府にとって、「和解」は最重要の課題だった。ジェノサイドで激減したルワンダの人口は現在、1000万人を超えるまでに回復したが、そのうちフツ族は800万人に達している。ツチ族の報復によって彼らがルワンダ社会に反抗するようになることは、なんとしても避けなくてはならなかった。

 政府の方針は、ジェノサイドを主導した者を除き、できるだけ多くのフツを地元に戻すことだった。このため懲役20年を超える長期刑を宣告された者も、数年で刑務所を出ることになった。刑務所が満杯で、大量の囚人を養うことが困難だという事情もあった。

 釈放された囚人たちは、ルワンダ政府の「再教育プログラム」に送られ、そこで「生存者」に対してどのように振る舞えばいいかを教えられた。それは、「言い争いをしても、謙虚に、臆病に行動すること。取り乱した生存者に直面しても挑発しないこと」などだった。

 ある加害者は、次のように教官から教えられたと話している。

 「君たちは、殺人者の顔のまま丘を出てきたが、必ず柔和な顔になって戻らなければならない(と教官はいった)。君たちは、激しい怒りを持つツチや、復讐しそうなツチに出会うだろうし、また君たちの悪行を知っている隣人にも出くわすだろう。彼らの心の傷は計り知れない。もし彼らが君たちに嫌な言葉を口走ったとしても、言い返してはならない。そのときは、当局のようなあなたたちが信頼できるところに助けを求めなさい。あとは逃げ去るしかありません」

 加害者たちは、殺人のことを生存者に直接話したり、恐ろしい詳細を述べてはいけないと叩き込まれた。「個人的に謝罪してはならない」とも教えられた。その代わりそれぞれのコミュニティで「ガチャチャ(芝生)」と呼ばれる簡易裁判が開かれ、そこで罪が裁かれることになっていた。

 こうした和解方針は、ジェノサイド後にルワンダ入りした欧米の人権擁護団体が主導し、そのための資金も提供した。その結果、生存者は裁判やセレモニー以外の場で殺戮について話すことを禁じれられ、フツへの差別的な発言を公の場で口にすると分離主義者として処罰された。

 こうした政策によってフツの加害者たちは、国家が生存者に「和解」を強要していることを理解した。このことは次の発言によく表われている。

 赦しを請うには、まずはじめに被害を受けた人たちに、包み隠さず、真実を話し、次に彼らや彼らの家族を傷つけてしまったことを忘れて欲しいと頼むこと。そしてその後に、赦しについて考えてほしいと申し出ることだ。
 もし、一度目でわかってもらえたら、それは本当に幸運だ。だめなら、もう一度試してみることだ。どんな問題があっても落胆しない。何度も機会をつくって、色々なやり方で赦しを求めれば、やがて赦しに辿りつけるだろう。当局が生存者たちを励ますプログラムを推奨しているしな(加害者編)。

 ベルギーの植民地だったルワンダはキリスト教が布教され、国民の大多数は熱心なカトリック/プロテスタント教徒だ。ジェノサイドの際、教会の司祭や牧師がツチの信徒を救わなかったばかりか、虐殺に加担した事例もあったため、ルワンダ政府とバチカンとの関係が悪化した。

 沼地では、敬虔なクリスチャンが獰猛な殺人者に変身した。そしてとても獰猛な殺人者は、刑務所ではとても敬虔なクリスチャンに変わった。(中略)司祭は(虐殺が起きた時)どこかへ行ってしまい、時には殺人にはまり込みさえした。どんな場合にせよ宗教は、何の意味も持たないよ(『加害者編』)。

 しかしそれでも加害者は神を信じており、これが「赦し」にも影響を与えている。生存者に赦されなくても、最後は、赦すか赦さないかを決めるのは神なのだ。次は、自らの「加害行為」を深く反省している者の言葉だ。

 赦しとは、追われ、打たれたことを忘れさせる神の恵みだ。自分の妻や子ども、家や牛を失い、そして神に自分の悲しみを委ねる者は、赦すことで、人生を乗り越えることができると思う。
 もし生存者が少しでも信用してくれたなら、それはありがたいことだ。そうでなければ、不幸だ。俺が逆の立場なら、どうにかして過ちを赦そうとするだろう。楽な時も辛い時もずっと、常に神への大いなる信仰を持ち続けているからだ(『加害者編』。

 ハッツフェルドは、「殺人者たちは、まるでそれが簡単な手続きであるかのように赦しを求めている」と述べている。「神」が加害者の罪の意識を軽くし、それによって被害者をさらに苦しめるのだ。

被害者と加害者のとてつもない距離
 新生ルワンダを理解するのに重要なのは、ジェノサイド後、ルワンダ愛国戦線とともに、ウガンダやブルンジなど国外で暮らしていたツチ族が大挙して戻ってきたことだ。彼らの多くは1959年の混乱でフツの暴力から逃れるため海外に出たのだが、それから数十年経っており、ジェノサイドを直接体験したわけではない。

 「ディアスポラ」と呼ばれる彼らとその子どもたちが現在のルワンダの中心であり、その利害はツチの生存者とは微妙に異なっている。生存者が法の正義と加害者の適正な処罰を求めているのに対し、ディアスポラにとっては治安の安定と経済成長の方がずっと重要なのだ。――ルワンダの首都キガリで出会う若者たちの多くは、こうしたディアスポラの二世だ。

 ツチの生存者は、ツチが主導する新生ルワンダから見捨てられているように感じている。なぜなら、少数派である彼らを守ることができるのは当局だけだからだ。ある生存者は、ハッツフェルドにこう語る。

 私自身、とても非力なので、犯罪者を罰することはできません。だから赦しにかけることにしました。私たちは従います。心から黙って従うのです(『和解への道』)。

 和解について、25歳のフランシーネはこう語っている。生存者の心情をよく表わしているので、すこし長いが引用しよう。

 時々、ベランダの椅子に一人腰掛けていると、こんなことを想像するんです。ある遠い日、地元のある男性がゆっくりと私に近づいてきて言うんです。「こんにちは、フランシーネ。私はあなたと話すために来ました。いいですか。私はあなたのお母さんと妹を切り殺した者です。でもあなたに赦してもらいたいのです」ああ、そんな人に私は何も答えることができません。
 でも、私自身には赦す用意ができています。それは彼らが行なった残虐行為を否定することとは違います。ツチを裏切ろうというわけでもありません。私は彼らがなぜ自分を切り裂こうとしたのかを、これからずっと問い続けて苦しみたくないのです。だから私は赦すのです。とても難しいことだと思います。ツチであるがゆえの自責の念や恐怖の中で生きていたくはないのです。彼らを赦さなかったら、私だけが一人苦しみ、いらいらし、眠れないことになってしまう。私は体が安らかになることを切に願います。どうしても平穏を見出さなければならないのです。他人の慰めの言葉は信じられないのですが、それでも恐怖を遠ざけなければならないのです(『加害者編』)。

 これに対して、彼女の家族を虐殺した加害者たちのリーダーは、次のように述べている。

 俺たちが、どんなに面白くすごしていたのかとか、どんなに燃えていたかは(生存者に)話せない。人狩りに出たとき、どんなジョークを飛ばしていたのかや、いいことがあった日にはみんなでプリムス(ベルギービール)をどう回していたのかとか、どう牛を殺し、沼でどんな歌を歌い、普段どのように不運な少女や婦人たちを集団でレイプしていたのかは、話せないだろう。俺たちが切り殺した数を競い合っていたことや、ツチが激しい苦痛の中で死んでいったことを物笑いの種にしていたことなど、そんな気晴らしを話すことなんてできない。少数の老人や女性、それに小さな子供以外、すべてのフツが殺戮に加わった。だから俺たちは、話すことにフィルターをかけざるを得ないんだ(『加害者編』)。
 
 この2つの証言を読んで、被害者と加害者のとてつもない距離に呆然とするのは私だけではないだろう。

 橘 玲(たちばな あきら)

  作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『上級国民/下級国民』(小学館新書)。

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橘玲

最終更新:11/7(木) 21:00
ダイヤモンド・ザイ

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