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本との新しい接点「箱根本箱」「文喫」 裏側に日販の元・ダメ社員

11/8(金) 11:02配信

FRIDAY

読書離れによる書店の減少が相次ぎ、出版不況の深刻化が進む今、人と本との関わり方が少しずつ変わってきているーー。

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12000冊の本と自然に囲まれたブックホテル「箱根本箱」。喫茶室のほかに閲覧室や研究室まで設けた入場料金制の本屋「文喫」。いずれも2018年にオープンし、本好きはもちろん「あまり本を買わない」という人からも注目を集める話題のスポットだ。

手がけるのは、大手出版取次会社・日販(日本出版販売株式会社)リノベーション推進部のブックディレクションブランド YOURS BOOK STORE。人と本の新しい接点を作り出した発想の原点とは? 自身のことを「ダメ社員だった」と振り返るプランニングディレクターの染谷拓郎氏に話を伺った。

◆転職するつもりで、退職届を出したあとに訪れた転機

「リノベーション推進部に異動が決まったのは、退職届を提出したあとだったんですよ」と語る染谷氏が勤める「日販」は、本の流通を担う出版取次として、出版社と書店をつなぐ流通会社。

「入社してから6年間は、DVDやCDなどを扱う物流のグループ会社へ出向という形で勤務していました。出荷部門の管理を担当していたのですが、レギュレーション業務がほとんどで、だんだんルーチンワークに不満を抱くようになったんです。

今思えば、そのレギュレーションを改善する余地はあったのかもしれないけれど、当時の僕にはそこまで見えていなかった。『こんな仕事やりたくない!』というわりには、できることを呈示しようとしない。ビジョンのない典型的なダメ社員でした」

定時になると即退勤。アマチュアのミュージシャンとして活動していた染谷氏は、プライベートの時間を大好きな音楽、映画、そして本に費した。そんなある日、今後の人生を左右することになる、とても印象的な夢を見たという。

「キャンプ場のようなところにいるんですが、知らないバンドが静かで心地よい音楽を奏でていて、コーヒーやハーブティーが飲める屋台があって、そこにいるみんなが思い思いに本を読んでいて……。いわゆるフェスともブックマーケットとも違う、なんとも言えない静かな空間でした」

「いつかあんなイベントがやりたいな」。起きてすぐに夢の内容をノートに書いた、その3日後。夢の余韻がまだ残る染谷氏のもとへ、知人から公園で行われる音楽イベントへの出演依頼があった。そこで彼は、主催者に夢の内容を話し「演奏するだけじゃなく、本を持ち込んでも良いか」と提案。レンタカーを借りて自宅からソファと本を持ち出し、音楽を聴きながらいちょうの木の下で本が読める、アウトドアライブラリーを実現させたのだ。

ほどなくして染谷氏は退職届を提出。具体的にやりたいことがあったわけでもなく、転職先も決めていなかったという。退職を約2ヵ月後に控えた頃、社内の成果発表会があった。音楽イベントで行ったアウトドアライブラリーで、家や電車以外の場所で本を読む「新しい人と本の関わり方」に触れた染谷氏は、そのときの体験と自分の思いを語った。

「その発表会は、“若手の登竜門”と呼ばれるだけあって、みんな手の込んだ資料を用意し、かなり気合いを入れて望むのですが、僕は2ヵ月後に会社を辞めることが決まっていたのもあり、とくに緊張もせずフラットな気持ちで、自分が思う『新しい本との関わり方』を発表しました」

リノベーション推進部の立ち上げメンバーとして声がかかったのは、そのすぐ後のことだった。上司から「君がやっているようなことが、好きにできるようになる。もう少しだけ我慢して続けてみないか?」と言われたが、一度提出した退職届を撤回することに、かなり葛藤があったという。

「やはり『男たるものは』みたいなものはありました。一度決めたことを撤回する自分に情けなさを感じながらも、こんな機会をもらえるならやってみたい。新しい事業を作り出すのは、ルーチンワークが苦手な僕にとっては合っているかもしれないと思い、異動を受け入れることにしたんです」

それ以来、染谷氏の生活は一変。初めてだらけの案件に頭を悩ませながらも、リノベーション推進部立ち上げから現在に至るまで、さまざまなブックカルチャーを作り上げた。

中でも代表的なのは「箱根本箱」と「文喫」だ。昭和24年の創業以来、日本の出版業界の発展を支えてきた日販だが、ブックホテルや本屋のプロデュースとは直結しない業種である。そんな日販が、2018年8月に「箱根本箱」、12月に「文喫」と、たった1年の間に新たなビジネスを2つも生み出し、しかも繁盛しているというのだ。

「もともと『箱根本箱』は、『あしかり』という日販の保養所だったんです。2015年に箱根山の噴火がきっかけで休館し、その後の活用方法が検討されていました。『箱根本箱』においては、プロデュース、企画、運営などはすべてメディア・クリエイション・カンパニー『自遊人』さんにお任せしています」

「自遊人」は、新潟・魚沼市で『里山十帖』という宿泊事業をはじめ、さまざまな体験型の自社メディアを持つだけでなく、雑誌も出版するクリエイティブ集団。廃旅館を『里山十帖』としてリノベーションした話を聞き、コンタクトを取った。

「自遊人さんは、お客さまが能動的に何かを体験したときに、ただ楽しむだけではなく、どんなことをフィードバックするかを大切にしている会社。すぐさま信頼できるパートナーと判断し、お願いすることになりました」

「箱根本箱」は、「本との出会い」「本のある暮らし」をテーマにしたブックホテル。ラウンジ&ショップをはじめ、客室にも「あの人の本箱」という名目で各界の著名人が選書した本が並び、館内にある12000冊の本はどれも購入が可能だ。それらの本のディレクションを、染谷氏が行っている。

「ふだんあまり本を読まない人に手に取ってもらったり、本を通じてゆったりとした時間を過ごしてもらいたいという思いから、あまり難しすぎる本は選んでいません。1泊だいたい20時間あるとはいえ、温泉に入ったり食事をとったりすると本をゆっくり読む時間はそんなにない。1冊の小説を読み切るのは難しいはずなので、気軽に読めるエッセイや写真集、画集などをメインに揃えるようにしています」

そして「箱根本箱」のオープンから約4ヵ月後、東京・六本木の青山ブックセンター跡地にオープンした「文喫」。店内にある約30000冊の本を自由に読み、購入することができる。軽食がとれる喫茶室に加え、ひとりの世界に没頭できる閲覧室、仲間と談笑したり、打ち合わせしたりできる研究室を完備する本屋だ。いまや、お茶を飲みながら、店内に置いてある本を読める店は珍しくない。「文喫」がそれらと明らかに異なるのは、1500円(2019年11月から、土・日・祝日に限り1800円・ともに税別)の入場料がかかるという点だ。決して安いとは言えない入場料をとるシステムを導入した理由は、どこにあるのだろうか。

「“本を手に取ってもらうための新しいアイデア”を追求する中で、入場料をとることで本屋を美術館や博物館と同じような提供価値で運営できないかと考えたんです。普段カフェに入るとコーヒー1杯500円かかるとして、長居して3杯飲むと1500円。どこまで行くと安い、高いと感じるのかを検討した結果、1500円という金額でスタートすることになりました」

果たして人は、本を読む、買うために1500円の入場料を支払うのか? 過去にない有料システムは、取引先の書店や出版社からは当初、なかなか受け入れてもらえなかったというが、今や客足が絶えない人気店となっているのだから驚きだ。

さらに、11月16~17日には、ブックイベント「森の生活」を茨城県・常総市のキャンプ場「あすなろの里」にて開催。かつて染谷氏が音楽イベントで行ったアウトドアライブラリーが、会社を通じ、ひとつの仕事として本格的に始まるのだ。そう、かつて夢で見たあの光景をついに再現するーー。

これからも「『人と本の新しい関わり方』を提案し続けたい」という染谷氏に、今後の展望について伺った。

「出版社は良い本を作り、書店は多くのお客さんに本を手にとってもらうよう売り場を絶やさないようにする。そして僕ら取次は、それらを低コストで流通させながら、出版社や書店ではできない方法で、本がある新しい場所を作っていくことが必要と思っています。自分の内側にあるものをどんどんアウトプットし、そこへつなげていけたらうれしいです」

「本をゆっくり読みたい」それは、忙しい毎日から一歩抜け出したいという思いから。日販リノベーション推進部が生み出す「本がある新しい空間」は、つい意味もなくスマホを見てしまう日常に一時停止ボタンを押してくれる。活字離れの次は、スマホ離れ。今、求められているのはきっとそういう場所に違いない。

取材・文:大森奈奈

FRIDAYデジタル

最終更新:11/14(木) 15:35
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