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工藤公康は歴代の名将を超えたのか?鶴岡、野村、王、秋山と続くホークス指揮官の系譜

11/8(金) 5:30配信

THE DIGEST

 2019年の日本シリーズは、工藤公康監督率いる福岡ソフトバンクホークスが、4連勝という圧倒的な強さを見せつけ日本一に輝いた。球団史上初の日本シリーズ3連覇。ホークスはそれ以前にも7度日本一に輝いた強豪チームで、球史に残る名将が幾人もいたのに、これまでに誰も達成したことがなかった。

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“ホークス”の歴史は古い。設立は1リーグ時代の1938年。当時の名称は南海軍といい、幾度かの名称変更を経て、ホークスの愛称を使用しはじめたのは47年になってからである。戦前は名にしおう弱小球団で、3位以内に入ったことは一度もなかったが、戦後の46年に鶴岡一人(注:当時は山本一人)が選手兼任監督に就任してから、チームは常勝軍団に生まれ変わった。

 戦争中は中隊長を務めたこともある鶴岡は、自ら畑を耕してまで選手の衣食住の面倒を見るほど世話好きな性格で、“親分”のあだ名があった。時に厳しく、時に優しく選手を鼓舞する鶴岡親分の下でチームは結束し、49年までに2度のリーグ優勝を果たす。
 
 50年の2リーグ分裂後もその強さは持続した。50年代前半は、シーズン200盗塁をコンスタントに記録する機動力と、「100万ドルの内野陣」と呼ばれるほどの堅実な守備力を駆使したスモールボールを標榜。後半になると、捕手の野村克也を中心としたどこからでも本塁打が打てる「400フィート打線」でビッグボールを展開するなど、チームカラーを柔軟に変えて常勝軍団を作り上げた。

 50年代を通じてリーグ優勝5回。最初の4回はいずれも巨人に敗れたが、59年の日本シリーズではエース・杉浦忠の4連投4連勝の活躍で見事日本一を手にした。鶴岡は23年もの長きにわたって南海ホークスの監督を務め、ホークスを11度のリーグ優勝、2度の日本一に導く。監督としての通算勝利1773勝は、今も燦然と輝く歴代最多記録。ホークス史上最初の名将と呼ぶべき人物である。

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最終更新:11/8(金) 6:13
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