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緒方貞子の現実主義を支えたのは「戦前日本で失墜したリベラル層」の研究だった

11/9(土) 15:00配信

クーリエ・ジャポン

日本人として、また女性として初の国連難民高等弁務官となり、難民救援活動に尽力した緒方貞子が、2019年10月22日に亡くなった。

国際関係論を研究する三牧聖子が、緒方の「現実主義」の原点に焦点を当て、緒方から次世代に託された国際協調のあり方を探る。

「たまたま日本人だった」

平和と人道にささげられた緒方貞子氏の活動は、どのような思想に裏づけられていたのだろうか。

「日本人という意識はない。たまたま日本人だった」と、緒方氏は2015年のインタビューで語っている。

この言葉どおり、緒方氏は国益や国境に縛られず、世界に広く開かれた思考と行動で、「人間の安全保障」を追求した。

安全保障は長らく、「国家」を単位として考えられてきた。国家がその国民を庇護するという前提だ。こうした国家中心の安全保障観からこぼれ落ちてしまう存在が、難民だった。

難民の救援活動をとおして、緒方氏は、国家に見放された人々、国家による抑圧や攻撃にさらされている人々も含む「人間の安全保障」という新しい考えをつくりあげていったのだ。

故郷を追われた難民を、単なる「弱者」とせず、その人間としての尊厳を大切にする重要性も緒方氏は説いていた。まさに、コスモポリタニズムの体現者だ。

コスモポリタニズムの原点

もっとも、コスモポリタニズムという言葉は、国籍・民族にかかわらず、すべての人々に分け隔てなく接する「世界主義」という肯定的な意味で常に使われるわけではない。自分の国家や文化への帰属感がない「根無し草」という否定的な意味で用いられることもよくある。

だが、緒方氏のコスモポリタニズムは、「根無し草」とは対極的なものだった。そのことを証明するのが、研究者としての緒方氏の業績だ。

戦前、緒方氏の家族は、軍国主義に傾倒していく祖国日本に批判的だった。曾祖父・犬養毅首相は、1932年に軍部によって暗殺されている。

こうした背景もあり、緒方氏は「なぜ日本はアジアでの拡張政策に乗り出し、中国、そしてアメリカと戦争し、敗北を喫したのか」という問いを探求することになる。

緒方氏の博士論文は、1930年代初期の日本の対満州政策の形成過程の分析だった(この論文をもとにした書籍が『満州事変──政策の形成過程』)。

緒方氏の博愛主義に裏づけられた人道活動の原点には、日本という「国家」が過去に起こした戦争に対する深い洞察があったのだ。

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最終更新:11/9(土) 17:25
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