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マーロン・ブランドに口説かれた 八千草薫さんの秘話

11/9(土) 17:12配信

NIKKEI STYLE

宝塚歌劇、映画、テレビドラマなど人気女優として最前線を駆け抜けた八千草薫さんが10月24日に88歳で永眠した。死因は膵臓(すいぞう)がん。昨年、膵臓がんの手術を受けたが、今年に入って肝臓にもがんが見つかったため、出演予定だった連続ドラマ「やすらぎの刻~道」を降板。治療に専念していた。過去に何度か行ったインタビュー取材で回想してくれた貴重な証言やとっておきの秘話を抜粋して紹介する。
八千草さんの自宅は東京・世田谷の高台にあった。2007年に夫だった19歳上の映画監督、谷口千吉さんと死別してからもブータンを旅するなど山に親しみ、晩年はケヤキの木が茂る庭先でビオトープ造りにいそしんでいた。取材場所は太陽の光があふれる山小屋風のリビングルーム。話はしばしば脱線し、ユーモアたっぷりに冗談を交えながら、八千草さんは自らの足跡や出会った映画人との交流などについてゆっくり振り返ってくれた。

■憧れのヴィヴィアン・リー、「手だけは似ている」と面会で感激

――幼少時代で印象的な思い出は何ですか。
「物心つく前に父を亡くしたので母と私の母子家庭です。生まれは大阪で、海と山に囲まれた六甲で育ちました。引っ込み思案で恥ずかしがり屋。近所に英語の通訳をしている独身のモダンな女性がいてよく遊びに行きました。『フランス女優のダニエル・ダリューに似てるわね』なんておだてられ、映画『うたかたの恋』を見た記憶があります。映画館には祖父にもよく連れられて時代劇映画も見ました。長谷川一夫さんを見て『なんてきれいな男性なの』と思ったのを覚えています」
――好きな女優は誰ですか。
「昔からヴィヴィアン・リーが大好きでしたね。『風と共に去りぬ』はあまり好きではなかったけど、『哀愁』にはとても感激しました。宝塚歌劇団にいた頃に東京公演で上京し、映画館で初めて見たんです。以来、ずっと憧れの人。後に映画製作者の川喜多長政さんの夫人、かしこさんに『ヴィヴィアンに会わせてあげるわ』と言われ、わざわざ英国まで会いに行ったことがあります。話した内容はすっかり忘れてしまいましたが、握手したら手がしっかりしていたので『手だけでも私に似てるんだ』と喜んでいました」
■イタリア行きを決めた運命の快晴、ヘプバーンと入れ替わり
――出演した映画で印象深い作品はなんでしょう。
「たくさんあるのでとても一つには絞り切れませんが、1954年にともに公開した稲垣浩監督の『宮本武蔵』と日伊合作オペラ映画『蝶々夫人』はやはり忘れられませんね。実はイタリアに面接に来てと言われた時、まだ『宮本武蔵』の撮影が残っていたんです。オープンセットでの撮影がその日にうまく終われば出発できるけど、もし雨が降ったりして撮影が1日でも延びたら、イタリア行きは諦めることになっていた。ところが幸運にもその日は快晴。まさに運命ですね。私は必死の思いで初のアフレコを夜通しで終え、翌朝には出発。南回りのプロペラ機で渡欧します。もう疲れ果てて機内ではずっと眠っていました」
――スタジオはローマ郊外のチネチッタ撮影所ですね。
「チネチッタでは前年に『ローマの休日』を撮影していて、私、オードリー・ヘプバーンが滞在していたレジデンスにちょうど入れ替わりで入ったんですよ。『蝶々夫人』のスズキ役の田中路子さんが欧州生活に慣れているので、色々と面倒を見ていただきました。ローマ市内をよく一緒に散歩したんですが、スペイン階段に行った時、『あ、ここでオードリーがジェラートを食べたんだ』とうれしくなり、同じようにまねをしてジェラートを食べました。イタリアはとにかく食事がおいしくて、毎日トマトソースのパスタばかり食べていました」

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最終更新:11/10(日) 7:47
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