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深海で日本海軍の空母発見!奇跡の生還者たちが語ったあの海戦の真実

11/9(土) 11:01配信

現代ビジネス

 ハワイ諸島北西海域の深海で、77年前、日米の機動部隊が激突したミッドウェー海戦で沈没した空母2隻の艦体が、アメリカの調査チームによって発見された。太平洋戦争開戦から約半年、優位に立っていた日本軍は、この海戦で、発見された「加賀」「赤城」を含む虎の子の空母4隻を失い、戦争の形勢は一気に逆転した。

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 この戦いでは、空戦では圧勝していながら、着艦すべき母艦を失った多くの航空機搭乗員が犠牲となった。奇跡的に生還した搭乗員たちは、あの海で何を見て、何を思ったのか? 

心のなかでは、見つからないでほしいと

 今年(2019)10月――。米IT大手マイクロソフト共同創業者のポール・アレン氏(2018年10月死去)が設立した財団の調査チームが、昭和17(1942)年6月に日米機動部隊が激突、太平洋戦争の大きな転換点となった「ミッドウェー海戦」で沈没した日本海軍の空母「加賀」「赤城」の艦体を相次いで発見したと報じられた。海底に眠る「加賀」の映像には、舷側後方に設けられた特徴的な20センチ砲がはっきりと映し出されている。

 「赤城」は、もとは巡洋戦艦、「加賀」は戦艦としてそれぞれ計画されたが、大正11(1922)年に締結されたワシントン軍縮条約で主力艦(戦艦)の保有トン数が制限されたことから、いずれも建造途中で航空母艦に改造された経緯をもつ。

 太平洋戦争開戦時には、この2隻で第一航空戦隊を編成し、真珠湾攻撃を皮切りに、南太平洋のラバウル攻略、オーストラリアのダーウィン空襲と転戦。「赤城」はインド洋にも進出し、セイロン島(現スリランカ)コロンボ、ツリンコマリのイギリス軍事拠点の空襲にも参加している。その間、まさに向かうところ敵なしの戦いを見せたが、開戦からわずか7ヵ月、ミッドウェー海戦(6月5日~7日)で相次いで沈没した。

 「赤城」の艦体発見が報じられたのは今回が初めてのことだが、「加賀」は、平成11(1999)年にも、アメリカの深海調査会社ノースティコスが、ミッドウェー島東方の海底で、ソナー画像から残骸を発見したと発表している。このとき、かつて「加賀」乗組の九七式艦上攻撃機搭乗員だった吉野治男(当時一飛曹)、赤松勇二(当時山口姓、二飛曹)の2名が、調査への協力要請を受け、探査船に同乗した。

 「波が高く、船は大きく揺れました。ミッドウェー島沖とはいっても、周囲は全部海ですから、昔ここで戦った感慨とか、思い出に浸るようなことはなかった。心のなかでは、見つからないでほしいという気持ちもありました……」

 と、吉野(1920-2011)は、私のインタビューに答えている。それから20年の間に、ミッドウェー海戦に参加した飛行機搭乗員たちのほとんどが鬼籍に入ったが、彼らが生前に残した肉声から、両艦の最期の戦いを振り返ってみたい。

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最終更新:11/9(土) 16:40
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