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広瀬叔功&柴田勲「ホークス&ジャイアンツ。黄金時代を駆け抜けた韋駄天2人が語る盗塁の矜持」/プロ野球20世紀の男たち

11/12(火) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。

野村克也が語る「広瀬叔功」

背番号12の盗塁王

 2019年の日本シリーズはソフトバンクと巨人が激突した。ホークスとジャイアンツの頂上決戦は、20世紀の最後、2000年に王貞治監督のダイエーと長嶋茂雄監督の巨人が対戦した“ON決戦”以来。さらにさかのぼれば、巨人のライバルは南海、つまりホークスであり、日本シリーズといえば巨人と南海の激突だった時代があった。

 南海の黄金時代は1950年代から60年代にかけて。巨人の絶頂期は65年からのV9だろう。この両雄の黄金時代には、ともに韋駄天のリードオフマンがいた。南海には広瀬叔功、巨人には柴田勲。時は高度経済成長期、明日は今日より素晴らしいと思われていた時代だ。塁間を駆ける2人の姿が、チームの黄金時代だけではなく、時代を引っ張っているように見えたファンもいたのではないか。

 ともに最初は投手で、背番号12を着けて走りまくった。帰塁に絶対の自信を持つ広瀬のリードは大きいが、走ることに集中するために柴田は小さかった。すり足で加速するのは同様。マスコミの企画で両者がベースランニングを競ったときには広瀬に軍配が上がった。体を左右に揺らしながら走る“ツイスト走法”の柴田は、

「不格好とか言われた時期もあったけど、速ければいい。一番、走りやすいフォーム」(柴田)

 最後のスライディングは、広瀬は短く小気味よく、柴田は最短距離を意識したという。

 先輩は広瀬。南海が西鉄から王座を奪還した55年にテスト生として入団したが、張り切り過ぎて開幕までに肩やヒジを痛めて強制送還、中学では広島県では有名な俊足強肩の遊撃手だったこともあり、自ら志願して野手に転向した。レギュラー定着は57年。61年に遊撃手の小池兼司が入団したことが転機となる。家も近く、かわいがっていた後輩だ。南海の指揮官は、同郷でもある“親分”鶴岡一人監督だった。

「小池のほうが守備はいい。それで鶴岡監督に、ひと芝居。『肩を痛めたから投げられない』と嘘を言うと、だったら外野に回れ、と。外野のほうが自信もあったし、自分の足や肩を生かせてチームにプラスになるとも思ったんで」(広瀬)

 そして、シーズン途中ながら中堅手にコンバート。42盗塁で初の盗塁王に輝いて南海の2年ぶりリーグ優勝に貢献したが、当時の盗塁王は連盟表彰の対象ではなかった。

「ホントに(盗塁を)やろうと思ったら、いくらでもできるけど、正式なタイトルじゃないし、盗塁王を獲っても仕方がない。チームが勝たなきゃ給料あがらんしね(笑)」(広瀬)

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最終更新:11/12(火) 11:05
週刊ベースボールONLINE

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