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菅原一秀・河井克行「スピード辞任」疑惑まみれ人材が出世できたワケ

11/12(火) 8:01配信

現代ビジネス

「菅さんに付いていく」

 10月25日、菅原一秀経済産業大臣が辞任した。10月半ばの週刊文春による「有権者買収疑惑」報道以降、噴出する数々の疑惑や不正をものともせずに地位にしがみついた挙句のことだったが、それ以上に由々しきは、なぜこれほど疑惑の多い人物が閣僚に任命されたのかである。

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 政府関係者は、ずばりこう明かした。

 「菅(義偉)官房長官のおかげだ。菅原は2003年の衆院選で初当選し、2005年に再選されたが、この時期から菅にべったりだった」

 一説に、菅原氏の父親が秋田出身で、菅長官と同郷であったことがきっかけだったと言われているが、実はそうではないという。

 「父親と関係の深かった政界情報誌の編集人を介して知り合った。で、菅原は知遇を得るや、さっそく菅長官を『囲む会』を開くようになった。当初は、松任谷由美の曲に出てくる横浜の有名なカフェ『ドルフィン』を会場にしていたため、『ドルフィン会』と呼ばれていた」

 かくして菅原氏は、2006年に発足した第1次安倍内閣で厚生労働大臣政務官に任命された。安倍晋三首相を擁立する原動力になった議員連盟の主要メンバーのひとりが菅長官であり、その後ろ押しを受けてのことだったという。

 当時を知る永田町筋が語る。

 「菅さんに付いていくだけです――いつもそう言ってました」

大臣への道を切り開いた

 その後、菅原氏の足元では秘書給与のピンハネ疑惑、秘書の酒気帯び運転と事故、「視察」と称した愛人とのハワイ旅行など数々のスキャンダルが噴出したが、ものともせずに国会議員として順調にキャリアを積んだ。

 2012年に第2次安倍内閣が発足すると、経済産業副大臣に就任。また、経済産業副大臣を退任後には、自民党の財務金融部会長に抜擢された。そして第3次安倍内閣では財務副大臣に任命され、今回、第4次安倍内閣でついに経済産業大臣の座を射止めたのである。

 「どれもこれも、すべて菅長官あってのことだ」

 前出の政府関係者は、そう断じる。実際、菅原自身もこう公言している。

 《衆議院議員初当選以来、無派閥を16年間貫いてきたのはこの方がいらしたからです》

 Twitterでの書き込みだ。また、ブログにはこんな記載もある。

 《令和の発表で、一段と存在感が増したが、あくまで黒子に徹すると自らおっしゃっている。
まさに黒田官兵衛である。しかし、天の時、地の利、人の和は自然体で起こるのが、政治の世界の常であり、人間社会の摂理である。平成の次の令和に向けて、日々、国家国民のために菅長官のもとで懸命に汗を流していく》

 そして今年6月、菅原氏は菅長官をバックアップする10数人の自民党無派閥国会議員の連絡会「令和の会」を立ち上げた。

 「さらに菅長官への忠誠を示して、大臣への道を切り開いたのだ」

 前出の政府関係者は、そう語る。

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最終更新:11/12(火) 17:46
現代ビジネス

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