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【今週はこれを読め! SF編】「宇宙」と「時間」、対になった二冊のテーマ・アンソロジー

11/12(火) 17:22配信

BOOKSTAND

 二冊組みのアンソロジー。いっぽうは「宇宙」、もういっぽうが「時間」がテーマだ。作品を寄せているのは、創元SF短編賞からデビューした俊英たちである。

 同賞は、近年の公募文学新人賞のなかでも、もっとも成功した企画だろう。ここでいう成功とは商業的な意味ではなく、「優れた書き手を見出し、継続的な創作活動への道筋をつけた」意義である。審査に関わった諸氏(初回から第十回までの常任選考委員の大森望・日下三蔵のおふたりと、各回のゲスト選考委員、そして編集部)の鑑識眼もさることながら、賞の設計思想・運営方針、受賞後のフォローがあってのことだ。

 第一線で活躍している作家の人数、総体的な作品レベルの高さについていえば、日本SFはいま最盛期にある。もどかしいのは、彼ら・彼女らがぞんぶんに筆を振るえるメディアが足りていないことだ。ほんらいならSF専門誌があと二~三誌あってしかるべきだが、出版全体がシュリンクしている現状では難しい。

 そんな状況のなか、こうしたオリジナル・アンソロジーの企画は大歓迎だ。

 寄稿者にとって創元SF文庫はいわばホームグラウンド。それぞれの個性が120パーセント発揮されている。

 収録順にコメントしていこう。

 まず『宙を数える』から。

 オキシタケヒコ「平林君と魚の裔」は、銀河系の知的種族は、魚をはじめとする遊泳生物から進化した種族(人類もこちら)と、イソギンチャクなどの底生生物から進化した種族があり、その拮抗がひそかに歴史・文明・経済・貿易の格差に反映されている超ヒエラルキーの源泉となっていて......という設定が面白い。絶妙のユーモア感覚も楽しい。

 宮西建礼「もしもぼくらが生まれていたら」は、天文マニアの高校生たち(もともとは人工衛星構想コンテストに挑むつもりでいた)の視点で、地球に接近してくる小惑星の脅威が語られる。プロットの細部にさりげなく、別の時間線の日本が舞台になっていることが織りこまれ、それが結末で効いてくる。

 酉島伝法「黙唱」は、水の惑星に棲息する種族の異様な生態系と、それと分かちがたく結びついた情動や意識のありさまが、素晴らしい造語感覚で綴られる。ジャズミュージシャンの吉田隆一さんとのコラボ企画「響生体」に端を発した作品であり、音響がイメージとしてだけではなく、フィジカルな意味で設定に反映されている。

 宮澤伊織「ときときチャンネル#1【宇宙飲んでみた】」は、ユルいかんじの動画配信者の十時(ととき)さくらと、そのルームメイトでマッドサイエンティストの多田羅未貴の掛けあいが愉快。未貴が超弦理論を応用して(?)コップに汲みあげた宇宙を、さくらが躊躇せずに飲んでしまう。発想はちょっとカルヴィーノっぽいが、味わいはライトなユーモア小説。

 高山羽根子「蜂蜜いりのハーブ茶」は、急速に巨大化する太陽から逃げつづけている世代宇宙船が舞台。太陽に近いエリアと遠いエリアとで、異なる種族が棲み分けているのだが、それを少し不思議な日常として描き、独特の情緒を立ちのぼらせている。設定そのものも結末で明らかになる真相も、考えようによってはちょっと怖いのだが、その怖さと普通さがまったく離反しないのが高山流だ。

 理山貞二「ディセロス」は、火星へ向かう宇宙船内での戦闘を描く。乗務しているクルーも船に忍びこんだ敵も、黒犀(ディセロス)と呼ばれるデバイス(超伝導状態になった長大なカーボンナノチューブを折り畳んで収納した立方体)を装着して、時間認知能力が強化されている。理山さん本人は「ハードSFではない」と明言しているけれど、読み心地はソリッドなハードSFだ。グレッグ・ベアやグレゴリイ・ベンフォードを蒸留したかんじ。

 ここからが『時を歩く』収録作品。

 松崎有理「未来への脱獄」は、「そのタイムマシンは動作したのか?」をめぐって凝った結末が用意されている。インサイダー取引で有罪となった語り手(囚人番号538)が、刑務所で未来人を名乗る男(187)と同房になり、所内の作業場でタイムマシン開発に取り組む。187以外は、だれも(語り手も)タイムマシンなどできると信じていない。だから自由にさせてもらえたのだ。そして、いよいよ実験のときが......。

 空木春宵「終景累ヶ辻」は、タイムマシンのようなガジェットを用いず、反復しつつズレていく語りによって、独特の時間構造が表現される。題材となっているのは、さまざまなヴァリエーションで語りつがれている説話「累ヶ淵」だ。あの怪談も、親子三代の反復的な因果が描かれていた。空木はその雰囲気を活かしながら、現代的技巧で仕上げている。

 八島游舷「時は矢のように」は、有名なパラドックス「アキレスはカメに追いつけない」を、SFのガジェットに落としこんでいて非常に興味深い。舞台となるのは、人類の多くが情報処理デバイスXnerveを装着して暮らしている近未来。量子コンピュータすら凌駕する生体AIも実現しており、ある日、そのAIが「二十一日後に相当数の人間が意識活動を停止する」と予測をする。この事態への対策として提案されたのが、Xnerveを用いて装着者の精神活動を二倍、四倍、八倍......と段階的に加速させる《ゼノン計画》だ。この時間ロジックに基づいて物語が進行するのだが、結末に大きなひねりが用意されている。ここでオチを明かすわけにはいかない。ただ、時間論から因果論への展開とだけ言っておこう。

 石川宗生「ABC巡礼」も、ロジックにロジックを重ねる超絶展開が見ものの作品。最初からロジックが前景化されているのではなく、語り手の「わたし」が旅の途中で見聞きしたもののディテールから入るところが巧い。現在進行形の物語なのだ。わたしの旅は、コーネルという作家の紀行書で示されたルートをなぞっている。同じような旅をしているマニアが何人もいて、彼らはコーネリストと呼ばれている。そして、もともとのコーネルの旅も、ババという作家が書いたフィクション旅行記に準じているのだ。その作品の主人公は、アンリエッタという女性を追って旅をしている。このように旅程が重なっているのだが、「わたし」の体験している現実の水準では、これらの旅が秩序良く多層化されていないのがポイント。私の旅をなぞって旅している誰かも、また、おなじ現実に存在しているのだ。

 久永実木彦「ぴぴぴ・ぴっぴぴ」は、時間跳躍装置〈ブラッド・ボトル〉によって、犯罪行為が時間を遡って正される(犯罪がおこなわれないよう過去を改編する)ようになった世界の物語。〈ブラッド・ボトル〉を行使できるのは公的機関だけだが、非合法で用いる犯罪者もあとを絶たない。それを取り締まるのも時間局の役目だ。しかし、時間局のなかに時間犯罪を犯す者がいたとしたら......。

 高島雄哉「ゴーストキャンディカテゴリー」は、人類が物理世界を捨てVR空間のなかで不老不死と拡張意識を獲得した未来の物語。VR都市は何兆もあるが、そのなかから自分がもっとも暮らしやすい場所を選ぶにはどうすればよいか? ただし選択に用いる計算量には制限がある。数学パズルのようにはじまり、その先の過程も数学的思考に飛んでいるのだが、その展開を怪談へとなめらかに結びつけてしまうのだから恐れ入る。なんとその怪談というのが空木作品と同様、「累ヶ淵」なのだ! もちろん偶然だろうが、考えてみれば「累ヶ淵」は、時間テーマそのものかもしれない。

 門田充宏「Too Short Notice」は、主観時間を最大化させる処置を受けた男が主人公。アイデア面だけをみれば八島作品と共通するところがあるが、こちらは長大な時間を与えられたのは主人公ひとりだけという状況であり、最大化された時間で何をおこなうかが主題となる。主人公ひとりだけとはいえ、意識がおかれているのは情報空間(リソースが限られているので狭い部屋)で、そこにコンパニオン役のAIが常駐している。このコンパニオンは美女という概念であって、実態はもちろん具体的なイメージも伴わない。主人公とAI美女のやりとりがなかなか楽しい。最終局面では、それまでの情報空間からいっきょに物理空間、それもスケールの大きな宇宙へ視野が広がる。

 以上、二冊を併せて十三作品。

 ところで、このアンソロジー、構成にひと工夫があるのにお気づきだろうか? 

『宙を数える』の巻末に収められた理山作品は「宇宙テーマ」のなかに「時間SF」のギミックを用いており、『時を歩く』の巻末の門田作品は「時間テーマ」のなかに「宇宙SF」のヴィジョンを立ちあげる。つまり、二冊がウロボロスのようにつながっているのだ。やるなあ! 企画の段階から狙っていたのでしょうか? 

(牧眞司)

最終更新:11/12(火) 17:22
BOOKSTAND

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