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ソフトの「第一人者」から営業の「最もできない人」に ブラザー社長、転機を好機に

11/13(水) 6:10配信

NIKKEI STYLE

《連載》私の課長時代 ブラザー工業社長 佐々木一郎氏(下)

技術畑一筋だったブラザー工業の佐々木一郎社長(62)は入社15年目の1997年、営業企画部に異動した。

異動する少し前、過去に販売した製品で不具合が起きました。私は状況調査と、おわび行脚で欧州の顧客を訪問することになりました。ある顧客からは1時間ほどお叱りを受けました。相手が冷静になるとようやく不具合の原因調査です。営業への辞令は大変だった欧州出張がきっかけだったと思いました。

開発部門ではソフト開発の第一人者と自負していましたが、営業では最もできない人になりました。事業試算など初めての仕事を部下に教えてもらう日々です。足元は赤字でも将来を見据えて先行投資が続く事業をどうするかなど開発部門では縁の無かった悩みの連続でした。

■営業と開発現場のつなぎ役となる。

異動後すぐ、当時の上司から顧客の要望に迅速に対応するチームをつくるので、リーダーをやるよう言われました。そのためには顧客ニーズの変化などを営業現場から集める必要があります。しかし、営業担当者はそうした報告より日々の売り上げに目が行きがちです。

そこで販売会社をまわり、細かな要望でもすぐ対応するので情報を上げてほしいとお願いしました。効果はてきめんでした。多くの情報が集まり、開発側は短期間でソフトウエアを改修するなど奮闘しました。営業も顧客の要望がすぐ生かされるので商談がまとまりやすくなりました。

営業現場から多くの情報が集まるなか、開発現場の負荷などの見極めに腐心しました。その判断では開発出身だったことが生きました。技術者は純粋な人ばかりです。お客様や営業担当者からの「ありがとう」の声を糧に短納期でも一生懸命、対応してくれました。

■営業への異動がキャリアの転機に。

営業という未知の分野に飛び込んで仕事をしたのは大きな転機でした。最初は色々な人から厳しいことも言われましたが、時間がたてばおもしろさに変わることを営業で学びました。食わず嫌いをせず、どんな仕事でも楽しみながら取り組むことが大事です。

スポーツ選手は練習で失敗を重ねて新しい技を習得します。失敗から何が足りないかを見つけて一生懸命、練習します。仕事も同じです。新しいことに挑戦すれば最初は苦労しますが、自分の理想と現実を受け止め、その差を埋めるための工夫が成長につながります。今は人生100年時代です。何歳になっても挑戦し、学び続けていきたいと思います。

■あのころ……

欧州連合で単一通貨のユーロが導入された1999年、印刷スピードを高めたレーザープリンターがヒット。工場はフル生産で対応に追われた。同年にはファクスの累計生産1000万台を達成するなど、かつてのミシンメーカーのイメージから事務機メーカーに変身した。
[日本経済新聞朝刊 2019年10月29日付]

最終更新:11/13(水) 6:10
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