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ラグビーW杯「笑わない男」稲垣啓太の忘れがたきプレーを振り返る

11/14(木) 7:01配信

FRIDAY

スコットランド戦、前半25分

あれは8月の初旬だった。東京の阿佐谷の商店街をたまたま通ると、数日後に始まるらしい「七夕まつり」の準備が進んでおり、それぞれの店舗が飾りを吊るしていた。

ラグビーW杯 日本代表の「ベストショット」がここに集結!

おっ。赤と白のジャージィが宙を跳んでいる。ラグビー好きの店主がいるんだ。うれしくて目を凝らす。

リーチマイケル。こちらは想定の範囲。

もうひとつ。

ヒゲに長髪の男が楕円の球を抱えている。

こ、これは。稲垣啓太ではないか。

いったい、だれなのだ。人類が滅亡するまで走り続ける丈夫で勤勉なプロップを選んだ目利きは。周囲を見渡すも、朝も早く、まだ営業開始の前、人の気配はない。

その瞬間に「ジャパンは勝ち進む」と思った。と書いたらウソになる。ただ「ワールドカップは成功するかも」とはウソでなく感じた。ちゃんと盛り上がるのかなあ、地上波テレビの視聴率はどうなるのか、なんて心配もなくはなかったころだ。アーケードの下のどこかに、派手なトライとは無縁のタフガイの真価をわかる人物がひそんでいる。

そして列島の膨大な数の老若男女は見た。

稲垣啓太の忘れがたきトライを。

生きるか死ぬかのスコットランド戦。前半25分過ぎ、もはやワールドクラスのフッカー、堀江翔太が巧みに上体をスピンさせて防御線を破り、仕事人、ジェームス・ムーアにつなぎ、元13人制ラグビーのプロ、ウィリアム・トゥポウへ。背番号1が左から走り寄る。左に浮いたパスをつかんでインゴールへ。貴重な勝ち越しのスコアだった。

4日後。会見で本人は言った。

「普段はトライした選手を追いかけて励ますような感じ。逆にあの時は励ましにきてくれた。いつもと違った光景が見られたのは感慨深いです」

そう。新潟県新潟市出身の29歳、新潟工業高校-関東学院大学-パナソニック ワイルドナイツの左プロップは、当日まで日本代表で32試合に出場しながら、いっぺんもトライを記録したことはなかった。ラグビーの古い言い回しを借りるなら「ピアノを弾く人ではなくピアノを運ぶ人」なのである。

しかし、実は、あの大切な場面、186㎝、116㎏の大きな体は、数え切れぬほどトライを挙げてきたウイングのように動いた。

映像を見返す。堀江からムーアへ球が渡るときの画面に姿はない。深いところにいるからだ。トゥポウがステップを踏んで抜ける。ややあって左後方に登場。サポートに駆け上がる速度が絶妙だ。足の速いバックスに追いつこうと焦ると、タックルをかわしたり浴びたり、ふいの出来事が発生した際、追い抜いてしまう。それではパスをもらえない。

本稿主人公は、微妙に速度を調整、ここしかないタイミングにしかるべき角度と距離を保ち、赤白ジャージィをまとっての初体験を成就させた。

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最終更新:11/14(木) 7:01
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