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天皇祝賀パレードから思いを馳せた昭和時代の嫁姑関係

11/14(木) 7:00配信

NEWS ポストセブン

 体験取材などを得意とする『女性セブン』の名物アラ還ライター“オバ記者“こと野原広子が、世の中で話題になっているトピックに、自由な思いをぶつける。今回のテーマは「令和という時代~式典に思う」。

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 一点の曇りもない晴天の下、「祝賀御列の儀」が11月10日、行われた。沿道に詰めかけた11万9000人、そして数多の国民の目が天皇皇后両陛下に注がれた。

「この日を迎えられて、ほんとによかったね」と、友達に話しかけるようにテレビ画面に語りかけていた私。

 中継が終わるとほぼ同時に、「テレビ、見た?」と、昭和9年生まれのうるさ型の知人・F子さん(85才)が電話をかけてきた。「美智子さまと同じ年」と言うのが口癖だ。

 彼女は、「公式行事の最中に何度か私語を交わされていたのが気になった」「オープンカーを先に降りた雅子さまが、陛下がお降りになるのを待たれる時、もう少し頭をお下げになった方がいいように思った。美智子さまもそうされていたから」と言う。

「だって、私が若い頃は、舅姑や夫の顔色をことあるごとに窺って、そうすることが嫁の務めだと思っていたんだから」とつぶやいた。

 私も昔を思い出した。38年前、ある家の長男坊に嫁いだ私は、舅姑と同居していた。結婚間もないある夏の日、姑からマヨネーズの保存の仕方で怒鳴られた。空気を入れて逆さにすると腐る。空気を抜いておけ。「お前なんか、嫁でもなんでもない。出ていけ」とまで言われ、私は食事が喉を通らなくなった。2日、3日…食卓に座るものの、5日間、箸が進まなかった。

 マヨネーズの置き方くらいでそこまで言われなくてもいいじゃないか。でも、舅は黙ってみそ汁をすすり、夫はテレビに見入って素知らぬフリをするばかりで、誰も助けてはくれなかった。

 嫁の立場は弱かった。姑の意見には、何でも「はい」。自らの考えを出すことなどあり得なかった。価値観の大きく違う人たちの中で暮らすことが、いかに息苦しいか。私は4年目に逃げ出した。

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最終更新:11/14(木) 7:00
NEWS ポストセブン

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