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首里城火災の3日前に起きた「ノートルダム大聖堂の復讐」 再建まで5年以上、寄付125億円が送金された

11/14(木) 6:00配信

文春オンライン

 首里城の火災は世界遺産ということもあって、フランスでも短いながらニュースで扱われた。あの炎上する映像を見て、ノートルダム大聖堂と重ねてみた人も多かった。

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ノートルダムの周辺は今

 火災発生の4月15日から7カ月、ノートルダムの周辺は相変わらず柵で囲まれて、近づくことはできない。もっとも、燃えたのは有名な鐘のある入り口の2本の塔の裏側から延びる屋根とその上の尖塔(せんとう)で、鐘のある2つの塔など正面や外壁は残っているので、遠目には火災の前と比べてもあまり変わらないのだが。

 燃えた部分に工事用の足場が見え、まるでもう修復が始まっているようだ。しかし、これは火事の前に予定されていた尖塔の修復をするための足場である。出火地点であるともいわれる。約500トンの鉄パイプが800度の高温にさらされ、曲がったりくっついたりしている。文化省のノートルダム担当歴史的文化財建築家フィリップ・ヴィルヌーヴ氏によれば、実はこれが厄介な代物で、新しい足場を組み、その上でこの足場を取り除くという複雑な作業が必要だという。また焼け残った石造りの円天井も崩落の危険がある。さらに、屋根の代わりに天井を塞いで雨が入らないようにしなければならないという(パリジャン、2019年9月13日)。

 そもそもノートルダム大聖堂は、石組みの建物の力を四方に分散して逃がすことで成り立っている。外から見える美しい支柱はそのためのものだが、その分微妙なバランスでできており、それが崩れると、弱い。

 もうひとつ、火災当時から鉛害が心配されていたが、近隣の学童、住民や消火活動参加者への検査を続けていたイルドフランス地方保健局は、10月15日に特段そうした被害は出ていないと発表した。だが、何しろ鉛製の尖塔と屋根が崩落し、400トンの鉛が溶けて飛び散ったのだ。住民の不安は消えていない。現場での鉛害検査のため、7月には3週間工事を中断せざるをえず、いまでも毎月働く人たちの採血が行われているという。

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最終更新:11/22(金) 17:42
文春オンライン

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