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[平成ランナーズ playback vol.1]渡辺康幸「ライバルの存在が生んだ“1時間6分台”の衝撃」

11/14(木) 11:01配信

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 千葉・市立船橋高校3年時のインターハイでは、1500mと5000mでの2冠を達成。

 全国高校駅伝では、エースの集まる1区で2年連続区間賞を獲得。

 10000mでは、当時の日本ジュニア記録である28分35秒8もマークした。

 そんな華々しい実績を持って'92年に早稲田大学へ進学したのが、渡辺康幸だった。

 渡辺の4年間の箱根駅伝は、同学年のライバルであるステファン・マヤカ(山梨学院大学)との戦いだった。

 当時の早大は、渡辺の2学年上に“早大三羽烏”と称され、箱根駅伝1区で2年連続区間新記録を出した武井隆次や、2年連続2区を走った櫛部静二、力のある花田勝彦がいた強豪チーム。

 そんな中にもかかわらず、'93年の初めての箱根駅伝で、渡辺は1年生ながらエース区間の2区を任された。そして区間新記録で走ってきた櫛部からたすきを受けると、そのままトップを守り、山梨学大の連覇を阻むとともに、早大の完全優勝に貢献した。

 「自分より強い先輩がいる中で(エース区間の)2区と言われた時は、自分の力がそれだけ認められているのだと思って嬉しかったです。ただ、その反面、すごく緊張もしました」

 そう語る渡辺にとって、1時間8分48秒という記録は予定通りのタイムだったが、区間賞を獲ったのは総合2位になった山梨学大のマヤカだった。

「自分がマヤカに勝たなければ」

 早大が連覇を狙った'94年は、渡辺は1区に起用され、その後12年間破られなかった1時間1分13秒の区間新記録を樹立。だが、2区では4年生だった花田が、27秒差の2位でたすきを受けたマヤカに逆転され、山梨学大に総合優勝を許すことになった。

 この負けで、渡辺はある想いを抱くことになる。

 渡辺の箱根駅伝での走りは、大器という期待を裏切らないものだった。

 だが、マヤカも箱根路に衝撃をもたらし、山梨学大躍進の原動力となっていた。'92年に同校初優勝を果たしたジョセフ・オツオリの後を継ぐ者としての存在感は大きく、特にマヤカはロードとなれば、その強さは際立っていた。だからこそ渡辺の心の中にも「箱根駅伝の総合優勝のためには、自分がマヤカに勝たなければいけない」という意識が芽生えていった。

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最終更新:11/14(木) 11:01
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