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【阿部勇樹】「ビスマルクをよく見ておけ」高3で出場のJリーグ開幕戦で掴んだもの

11/17(日) 10:31配信

GOETHE

2019年10月23日。ACL準決勝セカンドレグ。中国・広州で行われた広州戦で阿部勇樹は先発出場している。ファーストレグを2-0で終えた浦和の優位はアウェイでも変わらない。それでもスタジアムをぎっしり埋めたサポーターの声援を背に広州の猛攻は迫力を増していた。そんななか、チームの中心に立ち、攻守のバランスの舵を握った阿部。試合は1-0で終了し、自身3度目のACL決勝の舞台に進んだ。

高2の夏、ガンバ大阪戦でJリーグ初出場

1997年、ジュニアユースからユースへ昇格すると、トップチームの練習に参加する機会が増えた。当時のJリーグは2ステージ制で、全18チームが総当たりのリーグ戦が2度あるので、リーグ戦だけでも年間34試合を戦う熾烈なリーグだった。だから保有選手数も各クラブ30名を超えていた。しかし、ベンチ入り選手は5名のみ。試合に出られない選手のために行われていたサテライトリーグにユースチームの選手が帯同する機会も少なくなかったからだ。東京学館浦安高等学校での授業が終わると、そのまま舞浜の練習場へ向かった。

1997年8月23日対清水戦で初めてベンチ入りを果たしたが、それ以降のベンチ入りはない。そして1998年8月5日、高2の夏、ガンバ大阪戦で後半44分に途中出場する。野々村芳和さんや酒井友之くんが帯同できず、僕にベンチ入りのチャンスが巡ってきたのだろう。2-2で迎えた89分スコルテンと交代した。

当時のJリーグは延長Vゴール方式。決着がつくまで試合は続く。緊張はなかった。すぐに延長戦へ突入したものの、99分播戸竜二さんのゴールが決まり、僕らジェフはVゴールで敗れた。僕の出場は当時の最年少記録更新ということで、試合後は多くの記者が僕を囲んだ。「途中から何をやればいいのかわからなくなった。集中力が切れて、プレーに迷いがあった」と僕のコメントが当時の新聞記事に残っている。

とにかく、自分は何もできなかったという現実が大きくのしかかった。

そして、高校3年生になった1999年、リーグ開幕戦。国立競技場での対鹿島アントラーズ戦でベンチ入り。開始0分に先制され、28分に追加点を決められていた。

「ビスマルクをよく見ておけ」

0-2で迎えたハーフタイム。僕はゲルト・エンゲルス監督からそう指示を受けて、ピッチに送り出された。前年度リーグ覇者鹿島の背番号10を担うビスマルクを相手に何ができるのか。不思議と不安よりも、ワクワクするような気持ちになった。けれど、後半にも2失点し、試合は0-4で終了する。チームとしての力の差は歴然だった。僕もチームに還元できるよいプレーはできなかった。それでも、数回はボール奪取にも成功し、わずかな手ごたえは掴めた。もちろん、点数差が開いている状態だったからこそ、できたプレーだったのかもしれないが……。

その後、僕はすべての試合に先発起用された。しかし、チームの成績は芳しくなく、ジェフは残留争いに巻き込まれていく。

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最終更新:11/17(日) 10:31
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