ここから本文です

「自分/他人は何者かである」という考えは、つねに誤謬である

11/17(日) 13:01配信

現代ビジネス

----------
小説デビュー後、筆が動かなくなり、車で日本最北端を目指す旅に出た藤田祥平さん。大阪を出発し、今回は青森から北海道へ。青森のスナックで淑女たちの津軽弁を聞いた。人生を考えた。北海道に着くといつもの流れがいやになり、贅沢がしたくなったものの……。
----------

【写真】5年後、10年後に「生き残る会社/消えている会社」を実名公開!

「なにもないのね、書くことが?」

 私は青森の奇妙なスナックで酒を飲んでいた。

 「まあ、作家さんなのね。お名前を聞いてもいいかしら?」

 私は名刺を渡した。

 ところでこの名刺には、大阪と東京の住所が刷られているが、いずれの部屋もすでに退居している。在庫はまだ三百枚ほどあった。

 「……勉強が足りなくて、存じ上げないけれど。お若いから、デビューされたばかり?」

 「ええ」

 「頑張ってね。私も、本は好きだから。でも、こんな果てまで来るような仕事って……?」

 「なにか創作の種が見つかればいいと思ったんです。本が出て、よかったけれど、でもまた新しいのを書かなくちゃいけないから」

 「ああ、そういうこと」銀齢の淑女は微笑んだ。「ということは、なにもないのね、書くことが?」

 私は告解をするような気分になった。

 「二十七になるまでに作家になれなかったら死ねばいいと思った。そう思っていたら、二十七で本が出てしまった。全身全霊をつぎ込んだんです。あとのことをなにも考えていなかった。なんにもないんです。もう僕の冷蔵庫のなかは空っぽなんです」

 「そう」銀齢の淑女は微笑み、やさしい声色で言った。「それじゃあ、どうしたらいいのか、いっしょに考えましょうね……」

 ところで、こんな会話は、実際には起こらなかった。

 実際に起きたことは、ほかの二名の銀齢の淑女の乱入である。

 この淑女二名は、入ってくるなり、さんぷるのママが死んだ、と言った。

 それで店の話題はいっぺんにそちらのほうに流れた。

 話を聞いていると、さんぷる、というのは、おなじ第三振興街にあるスナックの名前らしい。私は彼女らの話から、さんぷるのママとはいったいどんな人生を歩んできたひとなのか、どんな店であったのか、この地域でどんな繋がりを持っていたのか、といったことを拾い上げようとした。

 が、できなかった。

 おそらく、彼女たちはそういう話をしていたはずである。ひとが死んだときには、みな、そのひとがどんなひとであったか、話をするものだ。

 しかし、問題がひとつあった。

 私は、津軽弁がまったくわからなかったのだ。

 名詞はかろうじて判る。しかし、動詞の語形変化、助動詞、助詞などは、まったくわからない。

 淑女三名はたいへん囂しく、それでいて故人を偲ぶ様子であった。

 「んだんだ」と三名は言った。

 「んだんだ」と私はつぶやいた。

 三十分後、私はすべてをあきらめて立ち上がり、「ごちそうさまでした」と言った。

 店主の淑女の津軽弁がすっかり抜けて、「あら、ありがとうございました」と言った。

 麦酒と突き出しと女将の酌で、千円だった。

 スナックで千円。

 異世界のごとき安さだ。

1/6ページ

最終更新:11/17(日) 13:01
現代ビジネス

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事