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【書評】多民族の豊かさを知る:山本博之編著「マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界」

2019/11/18(月) 15:01配信

nippon.com

民族と宗教と社会の箍(たが)

ヤスミン・アフマドの映画の特徴は、マレーシアに存在しない「もう一つのマレーシア」を描こうとしたところにある。

英国の植民地を経て、戦後、東南アジアで初の工業国になり、マハティール首相という個性的な指導者がいる。そんなイメージのマレーシアだが、一歩踏み込んだ中身が語られる機会はあまり多くない。

マレーシアは、マレー系、インド系、中華系が暮らす「多民族、多言語、多宗教」の国家だ。民族問題や宗教問題は、この国で最もアンタッチャブルで、核心に触れる領域である。しかし、ヤスミン・アフマドの作品は基本的に「多民族、多言語、多宗教」の世界を描いている点に特徴がある。

マレーシアの多民族は、第一世代ではなく、「祖先がマレーシアに来て何世代も経っており、自分もマレーシアで生まれ育ってマレーシアの国籍を持ち、マレーシアを祖国と考える人たちである」(本書)。民族ごとに宗教が異なる人々が隣り合って長く暮らすなか、「諍いを殴り合いや奪い合いに発展させない工夫を積み重ねてきた。手放しの自由を認め合うのではなく、互いに箍を嵌め合うこともそうした工夫の1つである」(同)と紹介されている通りで、マレーシアは一定の距離を民族ごとに置いている分断社会でもある。

その箍(たが)は、時に社会に窮屈さを生む。マレーシアには、多数派であるが華人系やインド系に比べて経済力の弱いマレー系を優遇する「ブミプトラ政策」もある。その政策に不満を表明するのはこの国最大のタブーである。

だが、ヤスミン・アフマドの映画の登場人物たちは、そんな社会の箍を踏み越えようと苦しみ、もがく。『細い目』の恋人の2人がまさにそれだ。主役の少女が、同じマレー系の同級生と、中華系との恋愛について論争するシーンでは、少女に「マレー男は多民族の女を妻にしてきたでしょ。マレー女が同じことをして何が悪いの」と語らせているが、あまりのストレートさに背筋が凍る思いがした。

本書によれば、ヤスミン・アフマドの作品に対して、マレーシア国内では好意的な反応ばかりではなかったという。「華人とマレー人の交際を周囲が祝福するはずがない」という意見も出た。しかし、おそらくヤスミン・アフマドは、だからこそこうした作品を撮り、理想として思い描く「もう1つのマレーシア」を見せようとしたのだ。そこには多民族社会だから輝く豊かさがあふれている。

異文化の理解や共生は口でいうには容易いが、成すことは難しい。共生を実現するためには、血も流れるし、涙も流れる。唯一支えになるのは「寛容」だ。ヤスミン・アフマドの映画のなかには、その寛容さを抱いて生きている人々が多数登場する。人生は複雑で、過ちも犯す。その過去が相手を傷つけるときもある。それでも寛容さで受け止めようと苦しむ。そんな彼らの営みを、ヤスミン・アフマドは、そのまま描き出す。それが彼女にとっての映画人としての寛容さであると、この本を読んでいるうちに気付かされた。

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最終更新:2019/11/18(月) 15:01
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