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一流国目指す日本の「桜を見る会」

11/18(月) 7:20配信

JBpress

 「桜を見る会」が炎上しています。

 「二階から目薬」ならぬガソリンも注がれているようで、一定の確率でこの問題は政権交代に直結する可能性があるかもしれません。

 政局に関わる問題は、ジャーナリストの記事がいくらでも出ると思いますので、例によってこのコラムしか切り取らない本質的な断面をお目にかけたいと思います。

 以下、本質的なポイントを2つ、最初に明記しておきましょう。

 本質1 功労があった人を招待するというのは本末転倒

 本質2 内閣総理大臣の主催で行われるのは苦し紛れ

 この2つをつまびらかに示したうえで、現在のケチがつきまくってしまった完全に変質した「桜を見る会」はいったん廃止し、新たな形で原点に立ち戻って考え直すことを勧めたいと思います。

■ 68年の伝統?  ご冗談でしょう、陣笠先生

 まず、見ていて失笑せざるを得ないのが「桜を見る会」が1952年、すなわち昭和27年に始まった「伝統」で、すでに68年の歴史が・・・という寝言です。

 まず年号を、目の玉をこすってよく見ることをお勧めします。1952年とは、我らが日本国にとって、いかなる年であったか? 

 1945年8月、日本には広島と長崎、2発の原子爆弾が投下され、同15日に日本は無条件降伏、ダグラス・マッカーサーが厚木に飛来し、日本は進駐軍がコントロールするGHQの支配体制下に置かれます。

 この状況が解消するのは1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約が締結されて以降のことです。

 また、この時同時に日米安保条約も締結されていることにも注意しておきましょう。

 かくして1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は主権を取り戻します。

 そしてこの1952年4月、吉田茂内閣が、国際社会に復帰する日本が、戦前に皇室主催で開いていた「観桜会」を「復活」させたのが、現在に至る「桜を見る会」の由来です。

 そして復活させる以前の、そもそもの原点は1881年4月、吹上御所で開かれた皇室主催の外交行事である「観桜御宴」にまで遡るものになります。

 「68年の伝統」とは、臍が茶を沸かします。

 観桜会は1881年に始まってから138年の伝統をもち、その主要な目的は「外交」、特に「不平等条約改正」という明治新政府の悲願達成のために始まりました。

 戦前、1938年まで57年間続いたのち、戦局の緊迫により中断、敗戦後の1952年まで13年間の中断を挟んで、再び国際社会との正常な国交回復を目指して再開されたものです。

 GHQの占領を経て、戦前のように元首ではなくなった天皇、皇室が主催するわけにはいかなくなり、痛し痒しの状況で「内閣総理大臣の主催」にシフトしたものです。

 これが上に記した「第2の本質」にほかなりません。

 ところが、どこかの素っ頓狂な内閣によって「桜を見る会」は「内閣総理大臣が各界において功績、功労のあった方々を招き、日頃の御苦労を慰労するとともに、親しく懇談する内閣の公的行事として開催しているものであり、意義あるものと考えている」と例によって悪名高い閣議決定したりしている。

 これでは本末が逆転してしまいます。在外高官などの招待者はたかだか2000人を超えることはなく、1万人とか1万8000人といった参加人数は、9割がた「その他の招待者」が占めている。

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最終更新:11/18(月) 12:50
JBpress

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