ここから本文です

なぜ「話し上手な人」ばかりが得をするのか

11/18(月) 6:01配信

ダイヤモンド・オンライン

 少し前に、小泉進次郎大臣の話の「意味がよく分からない」と、ネットが盛り上がった。

 そのニュースを聞いて、若い頃にやっていた仕事を思い出した。企画畑にいた私は、さまざまなイベントや勉強会で、社外の識者に講演をしていただいた後に講演録を作って小冊子にまとめる担当をしょっちゅうさせられていた。

● 大盛り上がりの講演が 文章にすると面白くない理由

 そこで気づいたことは、当日場が大いに盛り上がり、聴衆が大満足した講演なのに、テープに起こして文章にしてみると、どうということのない、新鮮味を欠く、全くもってつまらない与太話だったりすることが往々にしてあるということだった。

 また反対に、なんだか不得要領なことをボソボソ喋っていて、あのーとか、そのーとか、えーとかの間投詞や感動詞ばかりで、話題も定まらないように聞こえて、退屈の極致といった講演のはずが、テープ起こしをして、あー、うーを取り去り、少し整えると、あら不思議、見事な論文に早変わりするということもあった。

 どうも聴衆は自分も含め、驚くほど話そのものなど聞いていないのだな、と実感させられた。自信のある顔つき、身ぶり手ぶり、リズム、間のとり方などは、話全体の構成や論理性などよりもよほど重要なようである。実際に、メラビアンの法則(聴衆に与える影響として、視覚が55%、聴覚が38%で言語情報は7%だという通説)もよく知られている。
 
 かつて、ドラッカーは「聞く人」と「読む人」がいて、その両方ができる人はあまりいないと言った(『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか<はじめて読むドラッカー【自己実現編】>』ダイヤモンド社)。これは、仕事の報告を受ける際に、聞くことを重視するタイプか、文章を読むなどの視覚を重視するタイプか、人によってどちらかのタイプに分かれるという話で、経験論的にも納得できる。

● 「話すのがうまい人」と 「書くのがうまい人」の違いとは?

 一方、発信においても、話した方が良い人と書いた方が良い人の2種類がいるようだ。

 ただし、これについてはどちらかができると、どちらかはできないというような排他性はなく、

 (1)話すのも書くのも上手
(2)話すのは下手、書くのは上手
(3)話すのは上手、書くのは下手
(4)話すのも書くのも下手

 の4種類に分かれるように思われる。

 (1)話すのも書くのも上手

 理想的である。話す内容について頭の中が完璧に整理されている。一つの話がユニット化されて頭の中に格納されており、場面や相手に合わせて、柔軟に順番を入れ替えたり、不要なことは省略したりできる。

 書く方では論理的に矛盾なく、狙い通りの構成で、説得力のある文章が書ける。話すときにも書くときにも、高い編集力を発揮できる人であり、こういう人は放っておいてもリーダー的な存在になっていく。

 (2)話すのは下手、書くのは上手

 自分の思考の枠組みに沿って言葉を紡いでいくことには長けているが、多様な相手の要望に合わせて臨機応変に話の内容を再編集することや、その場の相手にとっては不必要だと判明していることを即座に省略できない。省略すると、自分の頭の中での構成が崩れてしまって、話に収拾がつけられなくなる。
 
 話している当人にとっては、その順番で構成されることそのものに論の本質があり、その順番でこそ論の強度が増すと考えているため、簡単にかいつまんだり順番を入れ替えたりすればよいといった単純な話にはならないのである。
 
 それゆえ、文章として、相手の反応を待たずに最後まで通した形で提出できるならよいが、一刻ごとに相手から反応があり、それに対応していかなければならない「話す」という行為は苦手である。

 自己の基準に合わせた論理性や構成力は独自性にもつながり、本来高く評価されるべきだとは思うが、前述のように、人はあまり相手の言うことそのものを聞いておらず、しかも忙しくて他人の文章などじっくり読んでいられないご時世なので、大変弱く厳しい立場に追い込まれがちである。

1/2ページ

最終更新:11/18(月) 6:01
ダイヤモンド・オンライン

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事