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少子化なのにランドセルの高価格化が止まらない「悩ましい真実」

11/19(火) 12:01配信

現代ビジネス

2019(令和元)年度の小学校在籍者数は、過去最低の約636万9000人1
となっている。少子化におののく世間だが、ランドセル業界には思いのほか勢いが感じられる。ランドセルの購入金額平均は、2019年のランドセル工業会によるアンケート調査では5万2300円であり、景気のよかったバブルの年の2万8000円2
に対して、円の価値の変動や物価全体の伸びを勘案しても、高価格化していることは明らかだ3
。「失われた20年」と言われつつも、ランドセルに関して親が子どもにかけるお金は年々増していることが伺えよう。 しかし、どれほど教育一家であっても、ランドセルの品質が学力向上に直接結び付くわけではないことは誰でも知っている。また、ランドセルに近似したオシャレで機能的なリュックも多数存在している。それなのに、なぜ、小学生はランドセルを背負わなくてはならないのか。そのわけを歴史に探ってみたい。

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ランドセルのルーツは陸軍装備

ランドセルは、オランダ語の背嚢(はいのう)である「ランセル」が転じたとされる。渡邊洋一氏によれば、蛮社の獄を逃れた高野長英が江戸潜伏中に訳した「プロイセンの陸軍将校ヘインリッヒ・ボン・ブラント」の陸軍戦術書の蘭訳本の和訳である『三兵答古知機』(1856年刊 掃月楼蔵版)の中に「担筪(らんとるす)」として記されたのが初出だという4


「ランドセル」という呼び名は、その後普通に使われていった。1875(明治7)年のベーケル商会の新聞広告には「ランドセル四百数」という表記が見られた5
。また、1879(明治11)年の新聞記事にある「徒歩士官陸軍服装規則第一章第八条但し書に準拠し背嚢及び脚絆共相用い」という文章にある背嚢には「らんどせる」とルビがふられていた6
。このように、ランドセルもまた軍装由来のアイテムだったことがわかる。小学生が何かを背負って通学するという習慣は、学習院から始まったとされる。『ランドセル130年史』によれば、1878(明治10)年に制服を採用した学習院だが、生徒の通学形態はまちまちで「馬車で通ったり荷物を使用人に預ける」などして通っていたようだ。それに対して、「学校では皆平等、家庭環境を教育の場に持ち込むのはいけない」と、「学用品は自分の手でもってくる」ことを義務付けた。そのため1886(明治18)年ごろから「軍隊で使用されていた背嚢を使い始めた」という7
。そして1888(明治20)年、学習院小学校の「ご入学祝い」として、大正天皇に総理大臣・伊藤博文が「箱型の通学鞄を献上」した。これが小学生のランドセルの起源とされている。現存している「初期の学習院ランドセル」の写真を見ると、基本構造は今とそこまで変わらないことが分かる。1891(明治23)年に素材は黒革と規定され、1898(明治30)年には「細かな形状や寸法(縦1尺1寸、横1尺5寸、マチ幅2寸5分)などが統一」されていった8


価格はどうか。1914(大正3)年にランドセルの価格は1円50銭であった。似たような価格のモノを探すと、目覚まし時計が1913(大正2)年に1円15銭、注文ワイシャツが1921(大正10)年に1円70銭だ9
。不思議と、ランドセルは日用品化が進まないのである。

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最終更新:11/19(火) 12:01
現代ビジネス

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