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「ローマ法王」と「ローマ教皇」の違いを生んだ“歴史的背景”

2019/11/21(木) 12:01配信

PHP Online 衆知

<<38年ぶりとなるローマ教皇フランシスコの訪日が迫る中、日本政府は「法王」の呼称を「教皇」に変更すると発表した。

現在のローマ教皇フランシスコは歴代教皇と比較しても異例の人気を集めていることもあり、来日に合わせて書籍や日めくりカレンダーなども続々と発売され店頭を賑わしている。しかし確かにタイトルは「ローマ教皇」と「ローマ法王」と二種類の呼称が混在している状況である。法王と教皇、日本ではなぜ呼称の違いが生まれたのか?

その理由を、元バチカン公使で『なぜローマ法王は世界を動かせるのか』の著者でもある徳安茂氏が、日本とバチカンの歴史を踏まえて解説する。>>

※本稿は徳安茂著『なぜローマ法王は世界を動かせるのか』より一部抜粋・編集したものです。

かつては併用されていた「教皇」と「法王」

「法王」とは、日本政府が太平洋戦争が始まって間もない昭和17年(1942年)にバチカンと正式に外交関係を結んだときからの呼称である。

ちなみに米国がバチカンと外交関係を結ぶのはこれに遅れること42年、即ち1984年のこと。

他方、「教皇」とは、日本のカトリック教会が1981年のヨハネ・パウロ2世来日時にそれまで併用して使っていた呼称を「教皇」に統一してからの呼び名である。

従って、どちらも間違いではないが、報道関係等では政府の正式呼称である「法王」を用いることが一般的であるのに対し、カトリック協会関係では「教皇」という語を使うのが普通となっている。

日本とバチカンの深い関係…太平洋戦争終結の仲介を依頼!?

日本におけるキリスト教徒は、カトリックが約45万人、プロテスタントが約55万人といわれている。

カトリックがイエズス会のフランシスコ・ザビエルとともに16世紀に入ってきたのに対し、プロテスタントの日本での布教は明治維新以降になる。

日本のカトリック信者は総人口比約0.3%にとどまり、カトリック人口は極端に少ない。しかし教育界をはじめとして、政治、文化、芸能、スポーツ、実業界と、さまざまな分野で活躍する著名人は少なくない。

日本がバチカンと正式な外交関係を樹立したのは、太平洋戦争さなかの1942年だった。

当時、ムッソリーニのファシズムが吹き荒れるイタリアにおいて権威が失墜していたバチカンだったが、日本がバチカンと国交を結ぶ意義を見出したのはなぜか。

米国をはじめとする連合軍との戦闘行為ですべて片づくわけがなく、いずれやってくる講和交渉のテーブルに着くため、バチカンの影響力と仲介外交を期待したからだ。

終戦直前、日本の指導部は終戦工作にあたり、中立条約を結んでいたソ連(当時)にも仲介の労をとってもらうべく働きかけた。

その後のソ連による対日侵攻を考えれば、恥ずかしくなるほどの外交感覚だが、それと比べると実現可能性はともかくとして、バチカンにその可能性を探ろうとした方向感覚は決して悪くなかった。

実際、1945(昭和20)年5月、バチカンのヴァニョッチという司教を通じて「一米国人」より、和平を仲介する用意があるので日本側と接触したいとの申し出があったという。

しかし日本側としては、素性、目的ともに明確ではない一米国人の申し入れは受けられないと回答した。

日本史上、もっとも混乱を極めた時代背景を考えると無理もない対応だったかもしれない。しかしここで重要なのは、日本がバチカンに大使館を開いていればこそ、このよう動きもあったということだ。

徳安茂(元外交官、在バチカン前公使)

最終更新:2019/11/21(木) 14:40
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