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26歳で年収約3億円。失敗を経験しながらも大手外資系証券会社のマネージャーに上り詰めた軌跡とは

2019/11/25(月) 5:20配信

東京カレンダー

―――月収40万円から16万8千円…。かなりの落差がありますが、どのようにモチベーションを保ちながら仕事に取り組んだのでしょうか。


石川さん:外資系証券に行く夢は諦めていなかったので、最初から転職しようと考えていました。かといって、結果を残さずに「あいつ、能力がないから辞めたんだ」と思われるのも嫌だったので、新人に課せられた3つのノルマで1位を取ることを目標にしていました。

結果的に入社後1年も経たずにノルマトップと外資系証券への転職の両方を達成できました。改めて、失敗してもリカバリーショットを打てば修正できると実感する出来事でしたね。


―――転職を機に、年収はどのように変化したのでしょうか。


石川さん:転職先の外資系証券会社の年収は初年度350万円でした。きっとみなさんが想像している外資系企業の年収のイメージより低い水準ですよね。しかし、面白かったのはボーナスの査定。1年後の初ボーナスでいきなり500万円振り込まれ、「結果を出した分だけ評価されるんだ」と驚きましたよ。

自分のヤル気もどんどん高まって、寝る間も惜しんで働いていました。その結果、2年目にはボーナス支給額は2,000万円にアップしました。


―――新卒入社時は年収200万円、そこから年収850万円、2,500万円と推移していったのですね。この頃のお金の遣い道は?


石川さん:学生時代と同様、貯金の概念はなかったですね。スーツや食事にこだわったり、海外出張先でエルメスを購入したり、とワンランク上の生活を過ごすようになりました。「“良いもの”を買ったから、“良い仕事”をしよう、“良い仕事”をしたから“良いもの”を買える」と仕事へのモチベーションにも繋がりますし。

26歳で2億8,000万円、でも…。安定した収入を捨てて転職を決めたワケ

―――若い頃に良いものに触れるのって重要ですよね。では、年収1億円を達成するまでの道のりについておしえてください。


石川さん:実は、ワンミリオンはかなり早いタイミングで経験していて…はじめて経験したのは26歳の頃。支給額は2ミリオンユーロ、当時の為替で2億8,000万円ほどの年収がありました。海外金融機関の新規部署立ち上げがバシッとハマったときでしたね。


―――26歳で2億8,000万円、すごいですね!


石川さん:これは…正直おかしくなりました(笑)。怪しい電話や不動産購入の案内が届くのもしょっちゅうで。この頃に1,500万円のマセラティや投資物件のマンションを3室購入しました。あと、今も一緒に暮らしている犬を飼い始めました。

当時も貯金はしていなくて、仕事の“やり方”も分かってきた時期だったので「来年はもっと良い年になるはず」と考えていましたね。


―――上を目指して目標を達成できる人だからこそ、の金銭感覚ですね。3社目となる大手の外資系証券に転職したキッカケは?


石川さん:年収ベースではかなり稼いでいましたが、「本当にここでいいのかな?」という想いをずっと抱いていました。野球に例えると、メジャーリーグの世界には来られたけど弱小チームで戦っているような感覚で。その頃はお金じゃなくて、自分の本当の可能性や能力を試してみたい気持ちが強かったですね。そこで選んだのが、ニューヨークに本社を置く最大手の外資系証券会社です。


―――年収は前職でもらっていた金額を維持できたのでしょうか。


石川さん:いやいや、かなり落ちましたよ! 新卒採用をしっかりとっている会社なので、勤続年数や能力を総合的に加味して評価を受けるシステムなんです。私が入社した27歳の頃に提示されたのは「年収1,500万円+ボーナス」でした。

しかし、不運にも入社後まもなくリーマンショックが訪れて…当時一緒に働いていた部署でも半分以上のメンバーがいなくなってしまいました。

私自身がラッキーだったのは、勤続歴が短すぎて会社側も解雇できず、なんとか生き延びました。ご想像通り初年度のボーナスはほとんど支給されず、年収が10分の1までダウンしましたが…。

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最終更新:2019/11/25(月) 5:20
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