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最後は自腹で穴埋め!赤穂事件、大石内蔵助はお金をどうやりくりしたのか?

11/27(水) 12:16配信

PHP Online 衆知(歴史街道)

※本稿は、山本博文著『東大流 教養としての戦国・江戸講義』(PHP研究所刊)より、一部を抜粋編集したものです。

物の価値を克明に記録した大石の帳面

戦国時代が終わって平和な世の中が訪れた江戸時代の前期、社会が安定して経済も繁栄していた元禄時代と呼ばれる時期に、お金の価値もある程度定まってくることになります。このころ起こったのが「赤穂事件」です。映画やドラマ、小説などでもよくテーマにされる忠臣蔵の元になった事件です。

ご存知の通り、江戸城松の廊下で刃傷に及んだ赤穂藩主浅野内匠頭が切腹に処せられ、藩は解散して財産を没収されることになります。この後始末を担当したのが討ち入りの首謀者である赤穂藩家老大石内蔵助です。内蔵助は、藩が所有していた米や船などの資産を売り払ってお金に換え、藩士への退職金として分配しますが、主君の仏事費やお家再興の資金として七百両ほどを手元に残します。一両を十万円として換算すると七千万円ということになり、結構な大金であることは間違いありません。これが結局は討ち入りのための資金として使われることになります。内蔵助は、その使い道を几帳面に『預置候金銀請払帳』という帳面に残しています。

実は大石は、このほかにもいろいろな帳面をつくっていて、そのリストを討ち入り前に赤穂藩主浅野内匠頭の妻である瑤泉院に渡したため、どんな帳面をつくったかはわかっているのですが、帳面そのものはすべて散逸してしまっていました。それが、明治時代になって『預置候金銀請払帳』が箱根神社に奉納されたため、現在でもこの帳面だけ現物が残っているわけです。

この帳面には、当然のことながら当時の物の値段が克明に記録してあって、歴史的にも非常に貴重な史料です。そこで、ここでは、『預置候金銀請払帳』に記録されている、いろいろな物の値段について見ていこうと思います。

まず、この史料から、当時の金銀銭の換算レートを見てみましょう。金一両は、「銀五六匁替え」としています。幕府の公定レートより、金が高くなっています。そして銭は、「一貫文十五匁替え」としています。一貫を九百六十文として計算すると、銀一匁は六十四文ということです。だいたいの換算率がわかると思います。

七百両の使い道として一番大きかったのは、京の紫野の瑞光院に山を寄進し、亡き主君浅野内匠頭のお墓を建てた費用です。それだけで百両以上が使われています。また、お家再興を諦めきれない内蔵助は、人を遣わして幕府の関係者に取り計らってもらうよう頼むわけですが、その際の費用二十両、二十四両と支出を重ねています。また、同志のアジトとして三田に屋敷を購入しますが、これに七十両ものお金がかかっています。

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最終更新:11/27(水) 12:16
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