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【著者に訊け】伊藤亜紗氏 『記憶する体』

2019/11/30(土) 16:00配信

NEWS ポストセブン

〈本書が扱うのは、出来事としての記憶そのものではありません〉とある。例えば口内炎ができた時はこう食べる、仕事に集中したい時はこうするなど、人は経験から独自の方法論や教訓を導き出し、その人だけに有用な〈究極のローカル・ルール〉さえ存在する。

 この経験に基づく法則が実は固有性を形作り、〈特定の日付をもった出来事の記憶が、いかにして経験の蓄積のなかで熟し、日付のないローカル・ルールに変化していくか〉、つまり〈記憶が日付を失う過程〉に、本書は注目するのだ。

 例えば先述の全盲の女性、西島玲那さんは生来、夜盲などの症状があり、高1の夏休みに網膜色素変性症を発症。だがその当日も家を出るまで異変に気付かなかったというほど、視覚だけに頼らずに彼女は生きてきていた。そのため19歳で完全に失明してから約10年が経つ今も、伊藤氏の目の前で話の要点を適宜メモし、地図や絵まで描いてみせたという。

〈傍目には、目の見える人がメモを取っているのと何ひとつ変わらない手の動き。見えなくなって一〇年間、書く能力がまったく劣化せず、鮮度を保ったまま真空パックされているかのようでした〉

〈一〇年前までの習慣を惰性的に反復する手すさびとしての「書く」ではなくて、いままさに現在形として機能している「書く」〉

〈全盲であるという生理的な体の条件とパラレルに、記憶として持っている目の見える体が働いている。まさにダブルイメージのように二つの全く異なる身体がそこに重なって見えました〉

◆読書は自分と違う「体」と出会う行為

「特に中途障害者の場合は、健常者としての記憶が刻まれた体と、障害のある今の体が2つある〈多重身体〉を生きている部分がある。そのギャップをどう埋め、失った機能をどう補うかという工夫や鍛錬によっても、体の固有性は作られます。

 障害者の世界は障害ごとの縦割りで考えることが多い。ですが、中途失明の方と四肢切断の方が中途障害共通の悩みを共有できるような横の繋がりを作りたくて、今回は幅広い障害を取り上げてもいます。確かにその人の体はその人固有のものです。その上で障害の種類や有無も超えて、相手の体をわからないなりにわかろうとするような、翻訳の仕事を私はしたい。誰でも当事者になれるのが、体の話なので」

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最終更新:2019/11/30(土) 16:00
NEWS ポストセブン

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