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森下暢仁が継承する「18」は? 広島の背番号別勝利数を検証してみた

2019/12/3(火) 11:03配信

週刊ベースボールONLINE

必ずしも常に「18」がエースナンバーではない

 広島のドラフト1位・森下暢仁投手(明大)の背番号が、「18」になることが決まった。来季からチームの指揮を執る佐々岡真司監督が現役時代に着けていた番号で、秋のドラフトで交渉権が確定した瞬間に、松田元オーナーに「背番号18をあげていいですか?」と了承を取ったという話もあり、新監督の森下への期待のほどが分かるというものだ。

「背番号18」、エースナンバーの浪漫

 ところで、この「18」番、いろいろな球団で「エースナンバー」と言われることが多いが、広島の場合を考えてみると、「チーム歴代最多勝の北別府学は20番、外木場義郎や現エースの大瀬良大地は14番だぞ……」と、必ずしも常に18がエースナンバーだったとは言えないところも無きにしもあらず。そこでここでは、歴代でどの背番号が最も勝利を稼いでいるのか、ちょっと検証してみたい。

 広島の歴史で、最初に「エース」というイメージを得るのは、やはり167センチの身長でシュートを武器に「小さな大投手」と言われた長谷川良平だろう。この長谷川が長く着けた番号が「18」だ。通算197勝だが、15勝を挙げた1950年は「32」だったので、「18」で挙げたのは182勝だ。

 しかし、長谷川の引退後、60年代から70年代前半は、カープの「18」の投手はあまり勝利を挙げられず、他の番号が台頭することになる。60年代から70年代にかけ、エースのイメージを背負ったのは、外木場義郎が背負った「14」と、安仁屋宗八が背負った「16」だ。この2つの番号は、太田垣(備前)喜夫が外木場、安仁屋以前に両方背負っているのが面白い。太田垣を名乗った時代は「14」で56勝、備前を名乗った時代が「16」で59勝を挙げている。初優勝時のエースだった外木場は79年までに131勝。外木場の前に背負っていた弘瀬昌彦の28勝なども合わせて、背番号「14」は、「18」より先に通算200勝に到達している。

 この後しばらくは、カープの背番号別最多勝争いはデッドヒートに入る。「18」は70年代後半から80年代にかけ、福士敬章(松原明夫、福士明夫)が58勝を挙げて通算200勝到達。そして次にトップ争いに参入してくるのが「11」だ。60年代に活躍した池田英俊が83勝、70年代後半から80年代前半のエースの池谷公二郎が103勝。他の投手を合わせて池谷の現役中に200勝に到達した。

 そこにさらに猛追してくるのが、球団史上最多213勝を挙げた北別府学の「20」だ。「20」は北別府の入団までに46勝をマークしており、北別府の現役中の88年には「20」も通算200勝に到達している。そのころトップ争いは、80年代後半は「18」が白武佳久で21勝を、「14」は「15」から変えた津田恒実で26勝を追加し、250勝近辺で「14」と「18」が拮抗した状態が続く。

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最終更新:2019/12/3(火) 11:07
週刊ベースボールONLINE

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