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不妊治療に流産も…漫画家も絶句した、雅子妃出産までの「いばらの道」

12/3(火) 8:01配信

現代ビジネス

ご成婚5年で始まった不妊治療

 1998年(平成10年)6月、ご成婚5年を迎えると、とうとうご懐妊に向けて積極的な介入が始まった。8月に入ると、宮内庁医師団がご夫妻に対し、具体的に検査や治療についての説明をしたと言われる。

 当時、陛下は38歳、雅子さま34歳。自然な形での妊娠を望んでいたおふたりも、決断の時が来たことを納得し、宮内庁病院で詳しい検査を受けられた。
それまで、懐妊できない原因は雅子さまにある……という一方的な見方がなされていたが、この検査結果が出たことで、雅子さまは少し安堵されたかもしれない。

 翌1999年、いよいよご懐妊に向けて本格的な治療がスタートした。

 腹腔鏡による不妊治療のエキスパート、東大医学部付属病院の堤治教授が月2回ほど宮内庁病院に来て治療を行う。長時間にわたる治療にも、おふたりは前向きに取り組まれていたという。

 不妊治療は、とりわけ女性の身体に負担がかかる。時には体調が優れないことがあっても、雅子さまは笑顔を絶やさなかった。精神的にも肉体的にも辛い治療が続く中で、雅子さまは陛下のお気持ちを気遣い、また、陛下も雅子さまを支えられて、ご夫婦の絆はさらに深まっていった。そして何よりも、子供を授かれるかもしれないという希望が、おふたりを支えていたのではないだろうか。

待ち望んだ「かすかな兆候」

 1999年6月。ご成婚6年を迎えた頃も治療は継続的に行われていたが、この治療行為が漏洩しないよう厳しい箝口令が敷かれ、宮内庁内部でも事実を知るのは幹部だけだったという。それはなぜか……? 
 この当時、皇太子ご夫妻が「不妊治療」を受けていることは極秘であり、たとえ外部に情報が漏れたとしても、決して認めることのできない事実だったのだ。

 今でこそ、「不妊治療」は当たり前の医療行為だが、20年前はまだあまり一般的に認知されていなかった。ましてや、皇統を継ぐお世継ぎの誕生に「人為的な方法」が取られていたことが公になれば、反感を持つ人たちがいないとも限らない。神話の時代から現代まで続く日本の皇室。その祖先は「神」であると言われ、天皇が「現人神(あらひとがみ)」とされていた時代も、そう遠くはないのだから。

 この時期、陛下と雅子さまは、治療に支障のない範囲で公務を続けられていた。さすがに海外ご訪問は調整が難しかったが、体調が安定していたことから、12月のベルギー国皇太子の結婚式には、ご夫婦そろって出席されることになったのだった。

 が、ちょうどそんな頃、雅子さまの身体に、待ち望んでいた変化が訪れた。毎日測っていた基礎体温が、平熱より少し高い日が続いたのだ。

 「妊娠しているかもしれない」

 雅子さまの胸は高鳴った。

 検査の結果、「まだ妊娠しているかどうかは、はっきりわからない」とのことだったが、すぐに東宮職と医療チームの間で会議が開かれた。待ちに待ったご懐妊のかすかな兆しだが、問題はベルギー訪問をどうすべきかということだ。直前の訪問中止は相手国にも失礼にあたり、また、マスコミにご懐妊を疑われる恐れもある。

 妊娠している可能性のある状態で、真冬のベルギーに行くことを不安視する声もあった。が、何度も検討を重ねた結果、お身体には影響はないだろうという医師たちの意見がまとまり、予定通りのベルギー訪問が決まったのだった。

 12月初旬、無事にベルギー皇太子の結婚式に出席されたご夫妻だったが、帰国後、雅子さまは大事をとって、天皇皇后両陛下との夕食会などを欠席される。この「異変」に、一部のマスコミが敏感に反応した。

 この秋に、宮内庁病院に妊娠検査で使う器具が運びこまれたこと。9月に予定されていたドイツ訪問が中止になったこと。ベルギー行きに東宮待医長が同行したことなどをを総合してご懐妊の可能性を疑い、ひそかに取材を重ねていた宮内記者もいたのだ。

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最終更新:12/3(火) 9:01
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