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不妊治療に流産も…漫画家も絶句した、雅子妃出産までの「いばらの道」

12/3(火) 8:01配信

現代ビジネス

コウノトリが舞い降りた日

 2001年(平成13年)4月12日、その発表は突然だった。

 「雅子妃殿下におかせられましては、ご懐妊の可能性が出てこられました」

 午後12時半に東宮大夫から発表があったことが報じられると、「今度こそは!」と、日本中がお祝いムードに包まれた。

 かつて、「とにかく1人産んでくれれば、日本経済のGDPも3%上がる」と言った関係者がいるというが、事実、その日の午後の東京株式市場ではマタニティ関連銘柄が急上昇。経済効果は20兆円になるとも言われたそうだ。

 5月15日には、宮内庁は正式にご懐妊を発表。出産予定日は11月下旬から12月上旬と伝えられた。

 妊娠の経過は順調で、6月に入ると、妊娠5ヵ月の安定期に入られた。その頃、超音波検査で胎児の性別がわかったようだが、ご夫妻は「誕生まで知りたくない」と希望された。そのお気持ちは、世間一般の、多くのご夫婦と変わらない。赤ちゃんに会える日をワクワクと待ちわびながら、おふたりは幸せな気持ちで日々を過ごされていたのではないだろうか。

 そして、2001年12月1日、午後2時43分。ついに、待望の第一子が誕生された。

 身長49.6センチ、体重3102グラムの、元気な内親王(女の子)だった。

「今度こそ男の子を」

 最小限におさえられた女性の医師と看護師だけが立ち会った穏やかなお産は、陣痛から出産までわずか2時間という安産。陛下は、出産後に分娩室に入られると、慣れない手つきで内親王を抱っこされ、雅子さまにこう言われたという。

 「ありがとう。お疲れさまでした」

 ご成婚から8年半、待ちに待った瞬間だった。

 母子ともに健やかな中、12月7日の「命名の儀」において、内親王は「敬宮(としのみや)愛子」と名付けられた。「人を愛して、人からも愛され、人を敬い、人からも敬われるようになってほしい」そんな想いを込めて。

 お名前通りの「愛するわが子」をしっかりとその胸に抱き、喜びをかみしめていた皇太子ご夫妻。だが、愛子さまの誕生を手離しで喜んでいない人たちも中にはいた。

 皇室典範では女性天皇は認められていないため、内親王が生まれても「お世継ぎ問題」の解決にはならないのだ。

 実は、愛子さまのご誕生以前に、宮内庁幹部はお子様が内親王であることを把握していたと言われている。当のご両親より先に事実を知って落胆した人たちは、すでにその頃から「次のお子さま」のことを話し合っていたというから、絶句するしかない……。

 辛い不妊治療や流産の悲しみを経て、ようやく胸に抱いたわが子。だが、雅子さまにはすぐさま第二子への期待が寄せられることとなった。

 「早く次の子を」「今度こそ男の子を!」……と。

 この事実を知ってから、冒頭の雅子さまの出産報告会見を思い返すと、あの時の涙には、喜び以外の複雑な想いが隠されていたように思えてならない。

 ようやく叶った、お子さま誕生の悲願。だがその喜びは、さらなる重圧によって、次第に押しつぶされていくのだった。

 【次回は12月17日公開予定です】

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参考文献
『皇后雅子さま物語』(文春文庫)友納尚子
『雅子妃 非運と中傷の中で』(文春文庫)友納尚子
『皇后雅子 妃から后への三十年』(講談社)石井勤
『生まれてきてくれてありがとう、愛子さまの二年間』(朝日出版社)近重幸哉
『雅子さま ご成婚十年の苦悩』(講談社)渡邉みどり
『素顔の雅子さま』(主婦と生活社)週刊女性皇室取材班
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 編集部注:敬称や名称については当時のものを使用しています。

折原 みと

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最終更新:12/3(火) 9:01
現代ビジネス

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