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串カツ田中社長に聞く、ロンゲ茶髪の高卒社員が「経営」にのめり込んだ理由

12/4(水) 6:01配信

ダイヤモンド・オンライン

 「串カツ田中」を全国で約270店舗を展開する串カツ田中ホールディングス。創業者の貫啓二社長は、高校を卒業してトヨタグループの会社員となるが、自由に生きたいとの思いから飲食業を起業。さまざまな苦労を経て、11年前、東京ではなじみの薄かった串カツ屋という金脈にたどり着いた。カネなし、学歴なし、経験なし。経営のド素人だった会社員は、いかにして一大チェーンを築き上げたのか。(聞き手・構成/ダイヤモンド編集部 松本裕樹)

● 若い頃は起業なんて考えもせず 仕事に遊びに一生懸命だった

 今でこそ、串カツ田中ホールディングスの社長をしていますが、若い頃は、会社を起業するなんて考えたこともありませんでした。

 大阪の高校を卒業後、トヨタグループの物流会社であるトヨタ輸送と郵便局に採用が決まり、トヨタ輸送に入社しました。ちなみに僕の兄は公務員で、兄弟そろって、安定した組織に就職しました。

 父親は中卒で町工場の工員をやっていて、母親はパートタイマー。あまり裕福な家ではありませんでした。それもあって、母親の教育方針は、「良い大学に入学して良い会社に入りなさい」というもの。結局、兄弟ともに大学には行きませんでしたが、良い会社には入ることができました。

 仕事はものすごく一生懸命にやりました。

 振り返ると昔から「一番になりたい」という気持ちは強く持っていました。子どもの頃、僕はすごくおとなしくて人見知りでした。母親が人に紹介する時はいつも、「この子はおとなしいので面倒みてあげて」と枕詞のように言う。それがすごく嫌でした。

 だから、「人生を変えたい」「目立ちたい」と思い、そのためにも一番になることにすごく執着していました。学生時代はヤンチャなこともしていましたが、一番にはなれない。勉強も運動も必ず僕よりもできるやつがいて、何をやっても一番になれない。

 だから、トヨタ輸送では「のし上がりたい」と思って、仕事はガツガツやっていました。

 自分で言うのもなんですが、社内ではまあまあの有名人だったと思います。見た目も茶髪のロン毛で、派手にしていました。「誰にもノーと言わせないぐらい仕事をする」と宣言して、実際、誰にも負けないぐらいの仕事量をこなしていました。

 一方で、寝る間も惜しんで遊んでいました。

 もともと遊びは大好きで、週末ともなると、冬はスノーボード、夏は海へ行っていました。

 しかし、23歳で結婚し、25歳で子どもができると、遊ぶ金がない。

 そこで考えたのがイベント、今でいう婚活パーティーの開催でした。毎月3~4回、週末に100人ぐらい集めてバーベキューやスノボなどのイベントを企画して開催。僕も遊べるし、友達は増えるし、お金も稼げる。すごく面白くて、「これが一生涯の仕事になれば最高だな」と思ったのが、のちに起業するきっかけの一つになりました。

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最終更新:12/5(木) 20:45
ダイヤモンド・オンライン

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