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41歳から学び直し ブランド広報を辞め福島県昭和村へ

2019/12/4(水) 10:51配信

日経ARIA

「都会を卒業して、田舎でゆったり暮らしたい」――誰しも、一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか。とはいえ、家族の説得、家や仕事探し、新たなご近所さんとのお付き合いなど、越えるべき数多のハードルを前に「移住は夢物語」と諦めている人も多いはず。そこで、国内の自然あふれる地方に移り、新たな生活をスタートさせた「移住の先輩」に移住成功の極意を聞きます。

【関連画像】自宅がある大芦集落。冬、村は一面の深い雪に包まれる。「不思議なくらいに雪景色が好き。真っ白な雪に覆われる風景は気持ちが落ち着くし、その美しさにうっとりします」

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(下)雪国≠寡黙と知った昭和村での移住生活 人生これでいい 

●商社OLを経て、24歳で始まった「遊動人生」

 「昭和村に住みたい。そう思った2日後、9年間勤めた会社に辞意を伝えました」

 広報アシスタントとして勤めていた海外高級ブランドを退職し、冬場は2、3メートルの深い雪に閉ざされる、福島県奥会津地方の山里・昭和村に移住した須田雅子さん(51歳)。彼女を村に引き寄せたのは、江戸時代から村で栽培されてきた植物「からむし」です。

 からむしは、国の重要無形文化財である最高級の織物・越後上布の原料となる麻の一種で、別名は「ちょま」。その越後上布で仕立てた夏着物の着心地は軽く涼やかで、「一度まとえば他のものは着られない」とうたわれたほどの伝統工芸品です。

 須田さんは、昔と変わらぬ方法でからむしを育て、糸を紡ぐ人々に聞き書きをしたいと4年前、東京から単身、村に移り住みました。

 東京近郊で育ち、バブル経済華やかなりし頃、短大を卒業して鉄鋼商社に就職。事務職OLとして働く傍ら、英語で話す楽しさに目覚め、24歳で商社を辞めて語学留学のためシドニーへ。これが、須田さん自ら「遊動人生」と称する、波乱の人生の幕開けでした。

 シドニーに約1年間滞在した後は、サンフランシスコに移り、日本食レストランでのバイトや日系企業の事務職、翻訳などの仕事で「食いつなぎ」ながら、英語を猛勉強。オーストラリアとアメリカで通算5年ほど暮らした後、「海外生活は十分堪能した」と、30歳で帰国します。

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最終更新:2019/12/4(水) 10:51
日経ARIA

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