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黒江透修&土井正三「V9巨人の名バイプレーヤーが魅せた二遊間の職人芸」/プロ野球20世紀の男たち

2019/12/5(木) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。

絶妙なコンビプレー

 1965年に始まった巨人のV9。後にも先にもない黄金時代の主役は、王貞治と長嶋茂雄の“ON砲”なのは間違いないだろう。ただ、どんな主役でも、ましてや野球においては、主役だけで物語を完成させることはできない。むしろ、主役だけが悪目立ちしている物語には目を覆いたくなる。上質な物語には、名脇役の存在は欠かせないものだ。

 V9巨人を監督として率いた川上哲治を紹介した際に、川上の「(V9は)いろいろな人がいて、その総合力ですね」という言葉は紹介した。その「いろいろな人」を象徴するのは、「紳士たれ」の巨人にあって、スマートな選手が並ぶ中、小柄ながら泥臭く闘志あふれる攻守走で“豆タンク”と呼ばれた黒江透修に、自身の結婚式にもかかわらず川上監督に祝辞で「これからも徹底して脇役になってもらいたい」と言われてしまった土井正三だろう。そんな2人が二遊間で名コンビを形成し、V9に深みを与え、“最強”の物語に仕上げていった。

 先輩は遊撃手の黒江。台湾の台北で生まれて香港で育ち、終戦とともに鹿児島へ。かなり生活は苦しかったという。鹿児島高では甲子園の経験はなく、杵島炭鉱へ進むも、業績不振で解散となり、日炭高松、立正佼成会を経て64年に巨人へ。与えられた背番号は67だった。しかも、遊撃には名手の広岡達朗がおり、

「すぐクビだと思っていた」(黒江)

 と振り返る。だが、広岡と一緒にノックを受けるうちに、その技術を吸収。67年には定位置を不動のものにしたが、すでに土井はレギュラーとして活躍していた。ただ、もともとは土井も遊撃手。育英高3年でセンバツに出場し、長嶋にあこがれて立大へ。そして、V9がスタートした65年に入団した。

 広岡の後継者として期待されたが、肩を痛めて二塁へ回ったことで1年目から広岡と二遊間を形成。南海との日本シリーズ第5戦(後楽園)で立大の先輩でもある杉浦忠からサヨナラ打を放って、川上監督に続いて宙を舞った。そんな土井が水なら、黒江は油。それくらい対照的な2人だったが、二遊間を形成すると、絶妙なコンビプレーを見せる。どちらが捕球やベースカバーをするかなど、意思の疎通はアイコンタクト。まさに、あうんの呼吸だった。土井はバッテリーのサインを見つつ、投手や打者のクセ、全体の流れを考えてポジショニング。黒江は走者との接触プレーとなるタッチも名人芸で、「アウト!」と叫ぶ“空タッチ”でも“らしさ”を発揮した。

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最終更新:2019/12/5(木) 11:05
週刊ベースボールONLINE

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