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こんな技術もあったのか!? 変革期、進歩過程で淘汰された「昭和に消えたバイク技術」

2019/12/5(木) 11:30配信

モーサイ

1970年(昭和45年)辺りから1980年代終わりまでの約20年間で、バイクに関わる技術は飛躍的に進歩。
ディスクブレーキやアルミフレーム、集合管など現在につながる技術が世に生まれ、国産二輪車の性能は劇的に向上していった。

【画像ギャラリー】昭和に消えたバイク技術

その半面、生み出されながらも淘汰されてしまった技術もまた存在する。
もちろん、消えてしまった技術は全てダメなのでははい。その当時の生産技術や材料、あるいは社会環境が問題だったモノもある。
例えば2ストはエミッションの問題で消えた。でも、技術的にはクリーンで燃費の良い2ストはできていた。ホンダが95年のパリダカに投入し、上位完走したEXP-2のARエンジンがそうだ。でも、社会がもう受け入れないかもしれない(ロータリーも同じ)。

19→18→16→17インチと小径ワイド化・ラジアル化と進化してきたタイヤは、最近のアドベンチャーモデル人気でフロント19インチのオンロードタイヤが堂々復活し、ラジアル化も達成(18インチも)。大径化では78年にホンダが採用したフロント23インチはさすがに消えたが、21インチは健在だ。

CBX、Z1300、ベネリ・セイ750/900、ラベルダレーサー(縦置きV6)などの6気筒(いずれも70年代に登場)はどうか。
昭和が終る頃にホンダは60度V6・750ccの実験車FXXを走らせ、スズキは2005年に並列6気筒のストラトスフィアをショーで見せたが、現存する6気筒はホンダとBMWぐらい。ヤマハの5バルブ(FZ750など)もホンダのオーバルピストンも消えた。

でも、技術に完全な新発明は実は少ない。だから状況変化により、昭和技術の復活もあり得るのだ。

フロントタイヤ16インチ化は スズキの“ケニー対策”から誕生

18インチタイヤより小径だから旋回性が上がるとGPマシンで採用されたのが16インチタイヤだった。
ホンダNR500(79年)は車体のコンパクト化から前後に採用したが、スズキはGPでのライバル、K・ロバーツ(ヤマハ)のインを突きクイックに曲がるためにRGB500(80年)のフロントに16インチ(ミシュラン)を投入した。

この流れは市販車にも及び、80年代にはホンダVT250F、VF750F、ヤマハFZ750、スズキRG250Γ、カワサキGPZ900Rなどで採用された。
いずれもバイアスタイヤで巻き込むクセがあり、前後17インチラジアルの登場で80年代中にほぼ姿を消した。

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最終更新:2019/12/5(木) 12:49
モーサイ

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