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映画『台湾、街かどの人形劇』:楊力州監督が見つめた伝統の継承と父子の葛藤

2019/12/5(木) 15:01配信

nippon.com

松本 卓也(ニッポンドットコム)

1970年代まで台湾で大人気の娯楽だった人形劇「布袋戯」。いまやその伝統芸能が存続の危機に立たされている。伝承に力を尽くす人形遣いの名人・陳錫煌を10年間にわたって追い続けながら、楊力州監督はその姿に何を見て、何を私たちに見せようとしたのか。来日した監督に聞いた。

布袋戯は17世紀頃、中国・福建省南部からの移民とともに台湾に伝えられたとされる。元々は神に奉納する芸能で、廟(寺や神社に当たる場所)で上演されながら、大衆的な娯楽となった。人形は木で精巧に作られた頭と手足を持ち、胴体がない代わりに、袋状の衣装の中に差し込んだ人形遣いの手がその役割を果たす。人差し指を突き入れて頭部を支える軸とし、親指と残り3本の指で腕や体の動きを生み出す。

銅鑼や鼓、胡弓や笛の音に乗せ、講談風の語りとともに物語が演じられる。遣い手は、激しいアクションシーンから、情感たっぷりのラブシーンまで演じ分ける。さらには硯で墨をする、煙管を使う、皿回しの芸をするなど、微細な動作もこなしてしまうのだから驚きだ。

大衆と権力のはざまで

ドキュメンタリー映画『台湾、街かどの人形劇』を監督した楊力州(ヤン・リージョウ)は、幼い頃に親しんだこの芸能を大人になって再発見し、映像に残すべきだと考えた。きっかけは今から12年前だ。

「友人に陳さんのことを教えられて、公演を観に行きました。観客は10人足らずで、私はすぐ近くで彼の演技を観ることができた。人形なのに、そのリアルな動きにものすごい迫力を感じました。あんな風に操れることに驚嘆し、まずはその人形の動きそのものを記録しておきたいと思ったのです」

「陳さん」とは、このドキュメンタリーの主人公、陳錫煌(チェン・シーホァン)。布袋戯の人形遣い・人形製作者として、台湾文化部(省庁)から人間国宝に当たる認証を与えられ、88歳にしてなお現役の演者だ。彼とその一座の日常を追い始めてから、楊監督は布袋戯の技が継承の問題に直面しているのを知ることになる。

「カメラを回すうちに、彼の一番弟子が洗車場でアルバイトをしていることを知って、衝撃を受けました。人形を操るはずの手が、車を洗うことに使われているとは…。その一瞬で、私は布袋戯の危機を察したのです」

楊監督は現在50歳。布袋戯の黄金期を知る世代で、10歳くらいまで大いに熱中した思い出があるという。

「子どもの頃、布袋戯は大人気の娯楽でした。ですから40歳近くになって陳さんの公演を観るまでの約30年間、そんな危機があることなど思いもよらなかった。70年代当時、テレビをつければ布袋戯が流れていました。学校から帰って真っ先にかじりついたものです。これは当時子どもだった台湾人たちにとって共通の記憶でしょう。その頃、台湾には3つしかチャンネルがなかったのですが、布袋戯の番組には最高視聴率97%という記録があったほどです!」

しかしこの熱狂に危機感を抱いたのが、時の台湾・国民党政府だ。表向きには、テレビばかり見て真面目に勉強しないのはけしからん、という理由で放送を制限した。しかしその裏には、布袋戯の伝統である台湾語での上演に対する警戒があったという。当時の国民党には、標準中国語(北京語)を公用語として定着させたいという思惑があったのだ。

その国民党もかつては、識字率の向上に布袋戯を利用したことがあった。さらにさかのぼれば、戦前の日本統治時代には、布袋戯が皇民化政策のプロパガンダに使われた。布袋戯の歩みは、時の権力に翻弄されてきた台湾の民衆に重ね合わせて見ることができる。そして現在、テクノロジーの進化と娯楽の多様化によって存在感を失いつつある。こうして監督は、布袋戯をめぐる政治、言語、歴史という側面にも光を当てていくのだが、撮影を進めるうち、さらにもう一つ軸となるテーマを発見する。

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最終更新:2019/12/5(木) 15:01
nippon.com

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