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クラウド・ルーが語る音楽の力「一つのことを1年かけて話すのと、10年話し続けるのでは説得力が違う」

2019/12/6(金) 21:00配信

Rolling Stone Japan

台湾の国民的ポップスター、クラウド・ルー。ワールドツアーの一環として、12月に日本でライブを行う彼にインタビューを実施。ライブのことはもちろん、兵役時代のこと、音楽への想いを語ってくれた。

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―まずは音楽をはじめたきっかけから教えてください。

18歳の時に事故にあって、そこで初めてギターをはじめたんです。

―事故というのは交通事故ですか?

はい。バスにぶつけられて、足をやられて骨折してしまいまして。事故に遭うまではスポーツをやっていたんです。

―事故に遭わなかったらアスリートとしての人生を歩んでいた可能性があった?

アスリートになるほどではないですけど、ただあの事故で、もともとアウトドア派だったのがインドア派になったような気はします。

―でもスポーツをやっていたくらいですから、事故にあった時はショックだったと思いますが、メンタル的にも大丈夫でしたか?

もしかしたら自分の場合どちらかと言うと調整がつきやすい人なのかもしれないですね。それほど悲観はしなかった。で、ギターを弾き始めて、ギターってすっごく面白いなって思ったのもそうですし、あとは音楽をはじめたらそれこそ音楽が全部を覆してしまうくらい大きな出来事になりました。

―音楽を始めた頃、誰か憧れていたミュージシャンやギタリストはいましたか?

はい。憧れのギタリストはスティヴィー・レイ・ヴォーンです。なのでギターを始めた時はブルース系ばっかりやってたんです。

―スライド奏法をしていたりとか?

はい。でもすごく難しいですよね(笑)。でもその時は結構一生懸命練習したんです。

―路線をポップスに移行したきっかけはあったんですか?

直感的に変えたんです。誰かに自分の曲を歌ってもらいたいなって思ったら、ブルースの気持ちを持ちつつ、やっぱりポップスの方に切り替えていくというか、作り出すのが台北では有効なんです。

―そして、僕らは、今年(2019年)台北アリーナを3日間成功させたポップスターとしてクラウド・ルーさんを知っているわけですが、ブレイクのきっかけはなんだったんですか?

デビューしてから11年が経っているんですが、11年の間にすごくたくさんいろんなことをしました。なので、ここまで道のりはだいたい3段階に分けられると思っています。最初が大学の時代。その大学時代、1stアルバムを出す前に台湾の各地で100回ライブをしたんです。それでファーストアルバムが『100種生活』っていうタイトルなんです。そして、最初のその時代にある程度のファン層がついたのかなと思います。ちなみに、ファーストアルバムを出した時は3000人のコンサートを開いたんですね。自分たちの計画としては、最初は田を耕すところから始めて、徐々にファンをつけて少しずつ外の周りの人たちにも知ってもらう、そんな感じでした。しかも、当時は大学生だったので書いている歌の内容も、学生によくあること、日常生活のことを書いていました。そこから一緒についてきてくれているファンは、そこから一緒に成長してきてくれました。なので、その時のファンは、同じ学生から一緒に成長していて、それこそ年をとっていく中での自分の感情を一緒に思い描くことができる存在なんです。

―なるほど。では第二段階は?

第二段階が兵役です。その時にいろんな感情が湧き出ました。正直、その時にいろんな声を聞きました。ファンからは「あんまり音楽性が変わらないね」「つまらなくなったね」などネガティブなことも言われたし、その時期に僕の音楽を聴かなくなった人もいます。それで……何かを変えなきゃいけないかなと思いました。その時に自分の曲を作るなかでの習慣というか、そういうところも全部変えていこうと思いました。言葉の使い方とか。で、兵役が終わってからあるチャンスがあって、ドラマに出たんですね。それが第三段階になります。

―そうなんですね。

ドラマに出るだけじゃなくて主題歌も担当しました。その時に自分の考えていること、いろんな感情をそこに込めることができて、そこで第三段階に入って新しい層の人たちをどんどん取り入れることができたと思います。第一段階の時は台北アリーナ1日だけだったんです。それが第三段階になった時に3デイズできるようになったんです。ただ、それは自分にとってはひとつずつ階段を上ってきている感じです。

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最終更新:2019/12/6(金) 21:00
Rolling Stone Japan

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