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「リステア」創業者の高下氏が語る、創業から辞任までの舞台裏

2019/12/7(土) 20:30配信

WWD JAPAN.com

高下:そう、「リステア」はまさに「スタジオ54」がコンセプトだった。「シャネル」との取り組みは米国版「WWD」にも取り上げられたことで、海外のラグジュアリーブランドの見方も変わっていった。バブルだったのかもしれないが、店も事業も本当に好調だった。ピーク時はミッドタウンの1店舗だけで20億円ぐらい売り上げがあった。ただ僕の考えではセレクトショップの究極的なゴールは、バレンシアガ・ジャパンのように、海外ブランドの日本法人を設立して、日本ビジネス、さらにはアジアの窓口となることだった。だから「リステア」はもうけることよりも、その窓口的なショールームであり、楽しんで興奮してもらう場所であることが大切だった。当時はひたすら、「赤字を出せ」「売れるものを仕入れるな」「エッジの利いたものを買え」「タグの値段は見るな」「ブランドのジャパン社になろう」と言い続けていた。バイヤーは本当に楽しかったと思う。あのままうまくいけばよかったが、全て08年のリーマン・ショックで計画がストップしてしまった。ちょうどリステアをホールディング会社化し、これから子会社が伸びていくというタイミングで、とんでもなく大きな事件だった。

―リーマン・ショックによって高額品を含め、消費が一気に冷え込んでしまった?

高下:それ以上に、ゴールドマン・サックスとのジョイントベンチャーが痛かった。設立したリステアインベストメントを通じて不動産ビジネスに参入しようと資金も調達していた。初めて話すが、実は東京ミッドタウンのリステアを芝浦に移転させようと計画していた。お客さまの多くは車かタクシーで来られるので、都心のど真ん中の家賃が高い場所にお店がある必然性がなかった。土地が安い場所に店を移し、人を呼び、“平成のゴールド(昭和に人気だったディスコ)”にしようと考えていた。ゴールドマン・サックスからはトータルで18億円出資してもらい、金融機関からも数百億円調達して、土地を買い、開発したり、余った土地は売却して利益を再投資しようとプランニングしていた。けれども、6人いたゴールドマンサックスのリステア担当者が1週間でみんな解雇され、担当者もいなくなってしまって。合弁会社をどう解消するのか、弁護士を交えて相当揉めた。その後2年間ぐらいは本当に大変だった。契約書に地雷が埋め込まれていたり、個人宛にも内容証明が来たり。ゴールドマンサックス関連の借金は30億円に膨らんでいて、8つの銀行から借りてなんとか返済できた。バレンシアガ・ジャパンはグッチグループが好意的に収めてくれて提携を解消した。けれども、その最中の11年の東日本大震災で今度は銀行から返済の督促が始まった。

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最終更新:2019/12/10(火) 18:09
WWD JAPAN.com

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