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美しくあり続けるひと“後藤久美子”という生き方

2019/12/8(日) 19:11配信

25ansオンライン

1980年代、国民的美少女として鮮烈なデビューを飾り、その類いまれなる美貌で日本中を魅了した女優、後藤久美子さん。テレビや映画で人気絶頂のさなか、愛する人と暮らすためにフランス移住を決断し、その大胆さとしなやかな強さは、女性たちの憧れとなりました。1999年の1年間、毎号表紙を華やかに飾ってくださった後藤さんが、今回、特別版の表紙にカムバック! 女優として、母として――。今の思いを語っていただきました。

セレブと言われると誰のこと?と思ってしまう

1999年。ヴァンサンカンは25歳を迎えた国民的美少女にカバーガールをオファーしたのでした。その願いは実現したわけですが、今回は、そのときの表紙写真を意識した撮影を後藤さんにお願いしました。20代の彼女が美しいのはもちろんですが、今の写真は素敵なパートナーと3人のお子さんに囲まれた生活が充実していることが分かる成熟した美しさです。

「20年前にカバーにとお話をいただいたとき、じつはすごく驚いたんです。ハイジュエリーにハイソサエティ。私には縁のないものと思っていましたから。働き者の父と倹約家の母に育てられたので、質実剛健というか、派手なことが苦手なのかもしれません。ファッションにしても、流行を追うことには興味がなくて、好みの色、形で着心地がよさそうなものを見つけて、何十年も着続けるというタイプなんです。だからファッション誌もあまり見たことがなかったの。ごめんなさいね(笑)。でも、幸せだったと思いますよ。25歳の自分を残せたのは嬉しいことだったし、よい思い出になっています」

20年前の撮影。最後はジュリアーノさんを妊娠中だったので、当時のお住まい、アヴィニョンでとなりました。

「22歳のときにエレナを授かって、それをきっかけにフランスへ渡ったんです。大決心?ではなかったですよ。自分の家族を持ちたいとずっと思っていたので、機会があればそうしたかったんです。ただ、そういう縁に出合わないでいたので、しばらくは独身で仕事を続けていくことになるのだろうなと人生設計を立て始めていた。そんなところにジャンが現れて、君と家族を持ちたいと言われたんです。ひと言でいえば若さでしょう。大変だろうとか、そんなことは考えもしませんでした。あと5年先だったら躊躇したかもしれないですね。少なくとも、フランス語が話せない状態でフランスで暮らし始めようなんていう軽率なことはしなかったと思いますよ。若いって恐ろしい(笑)」

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最終更新:2019/12/8(日) 19:11
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