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竹内洋×佐藤優対談:東大生が「一応、東大生です」と言う理由

2019/12/8(日) 12:00配信

幻冬舎ゴールドオンライン

実は今、「自分は大学に行ってないが、子どもは行かせたい」と思う親は減少しているようです。佐藤優氏と竹内洋氏の対談から、日本の現代社会にある「勉強」に対する捉え方の変化を紹介します。※本記事は、佐藤優氏と竹内洋氏の対談が掲載された『大学の問題 問題の大学』(時事通信社)から一部を抜粋したものです。

今の社会は、深く勉強することを重視していない

竹内 佐藤さんの世代ぐらいまでかな。私の世代は確実にそうだけれど、高等教育を受けることの重要性がいろいろな形で言われていました。ところが、最近の社会調査の結果を見たら、大学に行っていない親は、自分の子どもを大学へ行かせたいとはあまり思わないんだね(文部科学省「全国学力・学習状況調査」保護者調査結果、2017年度)。

佐藤 確かに今は、そんな感じになっていますね。

竹内 昔は、親自身が大学に行っていなくても、子どもにはとにかく勉強させて、自分よりも学歴を付けてほしいという意識があったけれど、今はどうもそういう感じでもないようです。大学に行かせたいのが学歴が高い層で約8割。親が大学に行っていない層で大学進学を期待するのは約5割弱ぐらいだそうです(同調査)。

佐藤 しばらく前に話題になった本で、千葉雅也さんの『勉強の哲学』(文藝春秋、2017年)という本があります。『メイキング・オブ・勉強の哲学』(文藝春秋、2018年)という本も続編で出ています。大学1、2年生向けに書かれた本だそうです。

竹内 話題を呼んだ本ですね。

佐藤 そこに書かれていたことの一つは、「本気で勉強すること」の現在における意味です。千葉さんによれば、深く勉強をするとノリが悪くなって、いわばキモくなるように見えると。まあ、ノリの悪さの先には、さらに深い学びがある(「勉強とは自己破壊」)ということを言っているわけですが、今の社会では深く勉強するとノリが悪くなると思われているというのが面白い指摘だと思いました。勉強はほどほどにして、社会にうまく適応してほしいというのが親の願いであって、勉強し過ぎて「ヤバイ奴」になってほしいわけではないということが書かれています。

竹内 最近、「東大生が活躍できない」と言いますよね。自分が東大生であることをはっきり言うことができなかったりする。「一応、東大生です」とか(笑)。勉強ができることを前に出しにくいという風潮は、そういうところともつながっているでしょうね。

佐藤 そう思います。千葉さんによれば、勉強の第一歩は何かというと、二つあると。一つはアイロニー。例えば、不倫は悪いとみんな言っているけれど、「本当に不倫は悪いのか」と突っ込みを入れるようなものです。もう一つがユーモア。不倫についてみんなが議論している時に、ちょっとずらす。「不倫は音楽のようなものだ」とボケて言ってみる。

でも、こういうふうにしていると、周りからはノリが悪くてキモイ奴と見られる。しかし、それを超えていって、ノリの悪さと良さをハイブリッドで行ったり来たりできるようになるのが、「来たるべきバカ」。だから、勉強の目標はバカになることだと。これは非常に面白いと思った。今の社会の空気を捉えて勉強の意義を説いた21世紀版の教養書ですよ。

竹内 なるほど、逆説的で面白いですね。「意識高い系」というのも、ノリが悪くて「キモイ奴」のレッテルの一種でしょう。「バカになれ」は反知性主義的だけど、それを逆手にとってのバカは、反知性主義時代に知性主義が生きる道かもしれない。

佐藤 そうだと思います。

竹内 千葉さんの言を直球で言い直すことになるかもしれないですが、大正教養主義のバイブルだった『三太郎の日記』の著者、阿部次郎(注1)は、教養がどれだけの本を読んだとかといった「教養主義」になった風潮への警告を次のように言っています。

(注1)阿部次郎(1883~1959):1883年山形県生まれ。東京帝国大学卒。1909年に夏目漱石の門下生となる。1914年に大正教養主義の代表作『三太郎の日記』を発表。1923年に東北帝国大学教授に就任、退職後に仙台市名誉市民の称号を受けた。


「書を読むことや他人の思想を研究することは、教養のひとつの途だが、それによって自ら生き、自らを省みることを怠るのであれば、何の意味もない」と。『ファウスト』に出てくるメフィストフェレスの言う「あなたは自分では押しているつもりでも押されているんですよ」という一句は大切ですよ。

佐藤 そう思います。メフィストフェレスは悪魔です。悪魔には事柄の本質を捉える能力があります。ただし、それを悪のために用いるので面倒なことになります。

竹内 儒学研究の泰斗である加地伸行氏は、「君子」を「教養人」、「小人」を「知識人」とする名訳を施しています。「知識人」とは、知識だけを付けた人であるのに対し、「教養人」とは知識に加えて徳性、判断力、決断力、構想力などを身に付けている人である(『論語〈全訳注〉増補版』講談社学術文庫、2009年)と言っています。

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最終更新:2019/12/26(木) 11:09
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