ここから本文です

カープの剛腕はスゴかった。 「なんならもう1回」とノーヒッター3度

2019/12/8(日) 6:30配信

webスポルティーバ

「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第5回 外木場義郎・後編 (前編から読む>>)

借金返済のためプロ野球に「転職」した酒豪打者

 平成の頃から、どこかセピア色に映っていた「昭和」。まして元号が令和になったいま、昭和は遠い過去になろうとしている。そんな時代の球場で輝いた選手の貴重なインタビュー素材を発掘し、個性あふれる「昭和プロ野球人」の真髄に迫るシリーズ。

 カープのエースとして君臨した外木場義郎(そとこば よしろう)さんは、プロ初勝利をノーヒットノーランで飾り、その際に将来性への懸念を口にした記者に対して「なんならもう一回やりましょうか?」と言い放った。そして3年後、その言葉通りに2度目のノーヒットノーランを「完全試合」で達成したのだった。

* * *

 1968年9月14日、広島市民球場での大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)戦で、外木場義郎さんは1人の走者も許さず、9回は3者三振、計16奪三振で試合を締めた。

「条件としたら、そろった、ということでしょうね。ボールのキレもいい、コントロールもいい。そのなかで三振が多く取れた、というのはラッキーだったと思います。確かに三振は狙いにいって取れるものですし、その試合でも狙って取りました。しかし勝負事は何が起こるかわからない。ですから、やられたらしょうがない、という気持ちも持っておかないと」

いかに「これはいけそうだ」と確信しても、ゲームが終わるまではあらゆることを想定しておかなければいけない。あくまで完全試合も「ラッキー」ということだが、ゲームセットの瞬間はどんな心境だったのか。結果的に、「なんならもう一回」も実現したわけだが。

「そんなに派手に喜びは表現しなかったと思います。しかし拳を握って力を込めているはずですよ。ガッツポーズというヤツですか? それは完封したときも出たもんです。で、後から振り返れば『もう一回』がたまたま実現して、記者はもう何も言わなくなりましたよね。あっ、ヤツは本当にやったか、というように思った方もいるかもしれません」

 マスコミの見る目が変わった反面、チームメイトの見る目にあまり変化はなかった。自身の気持ちも変わりはなかったのだろうか。

「まだ野球は続くんですから、変化はないですよ。記録はたまたま結果でついてきたんだ、という考えをいつも持ってましたから。投げる以上は自分で決着つけたい。常にそういう気持ちでマウンドに上がっていって、結果が出れば記録的なものにつながるときもある、ということでしかないですよ。それは3度目だって同じです」

 72年4月29日、広島市民球場での巨人戦。過去2度と違うのはシーズン序盤で、王貞治、長嶋茂雄を中心とした強力打線が相手で、そして前年まで7連覇しているチームであること。難しい条件がそろったなか、果たして、スイッチが確実に入る瞬間はあったのか。

「4月ですから、バッターよりピッチャーのほうがまだ上かなと。夏場になるとバッターが調子を上げてくるものですが、春先はまだピッチャーのほうが状態はいい。そういうものがちょっと記録につながったかな、とは思ってます」

1/4ページ

最終更新:2019/12/8(日) 6:30
webスポルティーバ

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事