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12月3日を「日本語が死んだ日」に

2019/12/8(日) 7:00配信

日経ビジネス

 「桜を見る会」の名簿データが消去された話を聞いて、私は、一も二もなく
 「データの一滴は血の一滴」

 という言葉を思い浮かべた。

 で、早速そのフレーズをタイプした勢いで原稿を書き始めた次第なのだが、冒頭の10ラインほどに到達したところで、

「ん? なんだかこのテキストは、むかし書いたおぼえがあるぞ」

 ということに思い当たった。

 原稿執筆中にデジャブに襲われるのは、実のところ、そんなに珍しいなりゆきではない。

 たとえば、武者小路実篤先生の晩年の作品には、同じフレーズや描写が、かなりの頻度で登場する。

 武者小路先生ご自身が、自分でわかっていて自己模倣をやらかしていたのか、それとも無意識のうちに同じ文章を繰り返し書く症状を獲得するに至っていたのかは、いまとなっては誰にもわからない。

 ともあれ、ある程度年齢の行った書き手は、いつしか、昔書いたのと同じ文章を書いている自分自身に遭遇することになっている。そういうものなのだ。

 さいわいなことに、21世紀の書き手は、検索機能を備えたパソコンを所持している。おかげで、あからさまな二度ネタは、なんとか事前に回避することができる。もっとも、二度ネタを回避できるのは、本人が自分の堂々巡りに気づいたケースに限られるわけだが。

 旧原稿のフォルダ内をワード検索してみた結果、2017年の6月付で当欄にアップしたテキスト(関連記事「データは人生であり、墓碑銘である」参照)にたどりついた。

 読んでみると、私が今回声を大にして訴えようとしていた内容が、ほとんどそのまま書き記されている。

 時間に余裕のある向きは、当稿を読みはじめる前に、できればリンク先にある2年半前の拙稿を参照してみてほしい。

 読者はおそらく、いま現在「桜を見る会」の周辺で展開されているのとほぼまったく同じ出来事が、ちょうど2年半ほど前に、いわゆる「モリカケ」関連のスラップスティックコメディーとしてすでに演じられていたことに、驚かされるはずだ。

 私たちは、2年半前の時点から、一歩も前に進んでいない。

 この国の人間たちは、前回と同じ追及と言い逃れのプロットを行ったり来たりしながら、一向に代わりばえのしない廃棄と隠蔽のストーリーをなぞったあげくに、例によっていつか来た道筋の半ばで不揃いなステップを踏んでいる。

 なんということだろう。

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最終更新:2019/12/8(日) 7:00
日経ビジネス

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