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瀬戸内・芸術の島で学ぶ 過去と持続的成長(渋沢健)

2019/12/10(火) 7:47配信

NIKKEI STYLE

若いカップルが恋に落ちて結婚し、新たな生命を授かった。ただ制度的な理由で妻は堕胎をさせられ、夫は研究室の棚に標本として瓶にホルマリン漬けになった我が子を目にした。こうした想像を絶する人権侵害が起こったのは遠い国ではありません。日本で、それもたった60年ぐらい前の戦後の高度経済成長時代です。場所は高松港沖の瀬戸内海に浮かぶ大島。国がハンセン病患者を強制的に入所させた療養所でのことです。
大島といっても実際は面積60ヘクタールあまり、東京ドーム13個くらいの小さな島です。また療養所といっても患者を治療する場所ではなく、周囲から隔離して一生を過ごさせました。「人間を捨てた島です」。冒頭に紹介した子どもを失った夫、Aさんはこう話してくれました。16歳から67年間も大島で入所者として生活しています。

■アートをきっかけに広がる社会問題への意識

筆者は10月下旬、経済と社会が調和するサステナブル(持続可能)な成長をテーマに香川県高松市で開かれた「SETOUCHI 企業フォーラム」に参加し、ESG(環境・社会・企業統治)投資やSDGs(持続的な開発目標)、文化と企業の関わりなどについて意見を交換しました。フォーラムの主催は瀬戸内国際芸術祭(瀬戸芸)実行委員会で、ハンセン病患者の隔離など瀬戸内の負の歴史と、それを踏まえた瀬戸芸とアートの意義を聞く機会にも恵まれました。
ハンセン病の感染力は極めて弱く、今では特効薬もできて治療法が確立されています。しかし1907年制定の法律で患者の隔離が始まり、同法を引き継いだ「らい予防法」が96年に廃止されるまで強制隔離は続きました。偏見と差別で子孫を残すことが禁じられただけではなく、入所者は島から出ることも許されませんでした。国が過ちを認め謝罪したのは2001年で、それほど昔の話ではありません。最大で一時700人を超えた大島の入所者は19年11月1日現在で51人。平均年齢は84.5歳の入所者が島で暮らしています。
大島はかつて「誰も来ることのなかった島」でしたが、最近では多くの人が訪れています。きっかけは今年で第4回目の開催となった瀬戸芸で、大島にも多くのアート作品が展示されました。11月初めの閉幕までに大島会場に1万2877人が来場し前回の16年(5104人)と比べ倍以上に増えました。筆者自身も芸術・文化と企業という接点がなければ大島に足を踏み入れることはなく、ハンセン病の入所者の存在を知ることはありませんでした。現在も大島で暮らす冒頭のAさんはほほ笑みながら言います。「長生きして良かった」と。

大島の港から船に揺られて30分ぐらいで豊島(香川県土庄町)に到着します。高台に広がる棚田から見渡す海の景観に言葉が失われ、広い敷地の一角に巨大な白い水滴のような建設物が自然と調和しています。「水」をテーマにした豊島美術館です。時が止まったような感覚で日常の邪念から解かれ、静め落ち着かせてくれる空間です。
豊島は現在では世界に誇る美術館がある自然豊かな島ですが、かつては近代工業化社会の負の側面である産業廃棄物の不法投棄に悩まされていたところでもあります。1978年にミミズ養殖による土壌改良という名目で県から認可を受けた業者が、実際には大量の産業廃棄物を持ち込み始めました。住民の反対運動にもかかわらず県は適切な対応をとらず、豊島の自然破壊に加担したと言っても過言ではないでしょう。
住民の長い戦いに転機がきたのは1990年です。香川県ではなく、兵庫県警が廃棄物処理法違反容疑で業者を摘発しました。その後、現状回復を求める住民が公害調停を申請し、2000年に香川県は責任を認め、合意が成立しました。90万トンを超える産廃物の処理が進むなか、農産物や海産物の風評に悩まされる豊島に自然と誇りを取り戻すという意味も込めて、10年に豊島美術館が開館します。
産業廃棄物の搬出は17年に完了しましたが、撤去しきれなかった新たな産廃が18年に見つかりました。現場を訪れると山がすっぽりと削り取られ、汚染された地下水の浄化作業は現在も続いています。アートというきっかけがなければ、自分は豊島にも訪れることなく、産業廃棄物問題に意識を配ることもなかったでしょう。やはりアートは「見えないもの」「見せたくないもの」を可視化する力があると言えます。

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最終更新:2019/12/10(火) 7:47
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