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難病の息子に遺すデータベース、母の「希望の終活」

2019/12/10(火) 8:22配信

オルタナ

医療の発展によって難病や障害があっても長く生きられる命が増えている一方で、親亡き後、周囲からのサポートが必要な子どもがどのように生きていくかは、現実として多くの課題が残っています。あるデータベースの制作・運営に取り組む母親の挑戦を取材しました。25歳を迎えた息子が自分亡き後も自分らしく生きられるように、まさに「希望の終活」として取り組んでいます。(JAMMIN=山本 めぐみ)

4万人に一人の難病「ドラベ症候群」の息子と共に

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、「ドラベ症候群の研究治療を進める会」と1週間限定でキャンペーンを実施し、オリジナルのチャリティーアイテムを販売します。「JAMMIN×ドラベ症候群の研究治療を進める会」コラボアイテムを買うごとに700円がチャリティーされ、ドラベ症候群の生活の質を向上させるデータベース運営のための資金となります。

今年25歳を迎えた青年の名前は林聖憲(はやし・きよのり)君、通称「キヨ君」。四万人に一人とされる「ドラベ症候群」という難病を持つ彼は、発症当時「4歳までしか生きられない」と告げられました。

「ドラベ症候群」は、様々な種類の発作を持ち、一度発作を起こすと発作が何時間も続いたり、短い発作を何度も繰り返したりする「けいれん重積」が特徴です。発作を誘発する原因として、体温変化や興奮などだけでなく、水玉模様や縞模様や木漏れ日が視覚に入ることで引き起こされることもあり、日常生活の中で発作を防ぐことは非常に難しいといいます。いつどこで発作が起きるかわからないため、母親の林優子(はやし・ゆうこ)さん(60)はキヨ君が幼い頃、家の中に閉じこもり、ただ1日がすぎるのを待つ日々を過ごしました。

「とても生活しづらく、親はどうしても神経質になりがちです。私もそうでした。どこかに連れて行くこともできず、刺激を避けるために一日中カーテンを締め切った部屋で、ただただその日が無事に終わることを願いながら何もせずに二人で過ごしていると、涙が溢れて止まりませんでした。何も考えられず、本当にしんどい時期でした」と当時を振り返る林さん。

「どれだけ可能性を排除しても、起きる時には発作は起きます。そうやって割り切れるようになったのは、もっと後になってからですが…。引きこもって張り詰めた生活を続けているうちに聖憲はどんどん顔つきが変わり、いつしか笑わない子になっていました」

4歳で、ドラベ症候群の特徴の一つである脳症を引き起こし、生死をさまよったキヨ君。もしかしたらもうこの先は無いかもしれないと感じた時、林さんは「発作で亡くなるとしても、それまでは楽しいことをさせてあげたい」と強く感じたといいます。周りの同級生たちとできるだけ同じ生活をさせたい、地域で生きて欲しいと奮闘する傍ら、「ドラベ症候群の研究治療を進める会(きよくん基金を募る会)」を立ち上げ、様々な活動をしてきました。

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最終更新:2019/12/10(火) 8:22
オルタナ

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