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周防正行が『カツベン!』で新たに発見した創成期の映画が持っていたダイナミズム

2019/12/10(火) 9:10配信

otocoto

創成期の映画館は賑やかだった

――物語の終盤、成田凌演じる俊太郎はしゃべりによっていろいろな作品を組み合わせて、まったく新しい映画を生み出してしまう。映画『ニュー・シネマ・パラダイス』(88年)を思わせる感動的なシーンになっていますが、あんな荒業は現実的にありえたんでしょうか?

ありえたと思います。いまではいろいろな映画のシーンを繋ぎ合わせて上映することは著作権的にもNGだし、許可なくそんな乱暴なことはできないという常識もあります。でも、当時はまだ著作権という概念も映画に対する共通認識もありませんでした。100年以上の歴史の中で、“映画”というものに対するある程度共有できる概念が出来上がってきた。

活動写真と呼ばれていたころの映画は、見世物の一種だったんです。プロの弁士にとって一番重要なことは、目の前にいるお客さんたちをどう楽しませるかということでした。この映画のテーマは…ということは関係なかった。お客さんたちが盛り上がらなければ、別の話に作り変えておもしろがらせたんです。なので、いろいろな作品のフィルムを繋ぎ合わせて、新しい物語を語る弁士がいてもおかしくはありません。実際にそんなことがあったかどうかは分かりませんが。だいたい、同じ一本の映画であっても、弁士によってまったく違う映画になったと言われているんです。あのいろいろなカットを組み合わせてしゃべるシーンは大変な手間がかかりました。片島さんがどの映画のどのカットを使うか考え、台詞のひとつひとつを頼光さんと相談しながら組み立て、成田さんに練習してもらったんです。いわば、みんなの合作です。弁士のすごさが伝わるシーンになったんじゃないでしょうか。

――『カツベン!』を完成させたことで、周防監督が映画について新たに気づいたことがあれば教えてください。

映画にまだ音がなかった時代の映画館は、じつはとても賑やかだったということですね。活弁がおもしろければ、お客さんは拍手をし、歓声を上げ、逆につまらなかったときには罵声を浴びせていたんです。それに怒った弁士は、お客とケンカになったりもしたようです。劇場はライブパフォーマンスの場であり、みんなが自由に声を出せる場所でもあった。僕にとって、それはとても新鮮な発見でした。

――映画館で初めて観た映画のことを、周防監督は覚えていますか?

幼いころに親に背負われて観た記憶はありますが、何を観たかは覚えていません。でも友達同士で初めて観に行った映画のことはよく覚えています。小学2年生の時、学校の先生から「いい映画だから、観てきなさい」と文部省推薦の文芸映画の招待券をもらい、友達と一緒に2つ先の駅にあった“新丸子文化劇場”という映画館へ行ったんです。2本立ての上映になっており、併映が『モスラ対ゴジラ』(64年)でした。それで僕らは最初に観た『モスラ対ゴジラ』に大興奮してしまい、もう一本の映画は観ずに帰ってしまった。それ以来、僕は怪獣映画に夢中になりました。肝心のもう一本の映画は、何だったのかも、先生にはどう話したのかも覚えていません。でも、僕が映画にハマるようになった大事な体験でもあるんです(笑)。

取材・文/長野辰次

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最終更新:2019/12/10(火) 9:10
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