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山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.7「ブリヂストンの大ピンチを救った東雅雄」

2019/12/10(火) 5:31配信

WEBヤングマシン

そんな非常に痛い教訓もあって、東選手とブリヂストンは1年がかりで、1998年に走れるチームを探して交渉。そしてようやく、ベルギーのチームに移籍してブリヂストン契約ライダーとして走ることができたのです。じつはこのころ、私は気持ちがかなり萎えた状態でした。「レースの仕事を辞めるか……」とか、「会社も退職するか……」なんて考えるほどのネガティブ思考。1991年からチャンピオン獲得を目指して7年やって、逆に活動が萎んでしまったことで、すべてにおいて限界を感じていました。しかしそのときの開発本部長がとてもポジティブな人で、「オマエがやらなくてだれがやるんだ!」と叱咤激励してくれたのです。シーズン終盤には、「一緒にWGPの現場に行って、新しい契約ライダーを獲得するぞ!」なんてことも……。私は行きたくなかったのですが、引っ張られるように欧州へ行って色々なチームと話をしました。いま振り返れば、あの応援が約10年後のMotoGPチャンピオンにつながるわけです。

1999年には開幕3連勝を飾った東選手

そして1998年、東選手は開幕戦の日本GPで3位に入賞してWGP初表彰台に登壇すると、その後も3度の3位入賞。そしてシーズン終盤の第13戦オーストラリアGPで初優勝を挙げ、翌年の快進撃につなげました。1999年も同じチームからの参戦となった東選手は、開幕から3連勝を挙げ、シーズン折り返し地点となった第8戦イギリスGP終了時点で5勝をマーク。20点差のポイントランキングトップに立っていたのです。

東選手の大活躍に、我々としても「今年こそチャンピオンを獲る!」と意気込んでいたのは言うまでもありません。しかもこの年、ブリヂストンの契約ライダーは前年の2人から5人に増えていて、第6戦カタルニアGPではアーノルド・ビンセント選手が優勝。ブリヂストンはここまでで6勝を記録していて、1997年のどん底がウソのように好調でした。しかし全16戦を終わってみれば、第12戦バレンシアGPと第14戦南アフリカGPでジャンルイジ・スカルビーニ選手が勝利を収めて、ブリヂストンとしてはWGP最多優勝回数となるシーズン8勝を記録できたものの、東選手のランキングは3位。チャンピオンにはまたしても手が届きませんでした。

シーズン中盤までランキングトップで、タイトル獲得が期待された東選手は、第10戦チェコGPの土曜日フリー走行で、なんと鹿と衝突して激しくクラッシュ。そのとき、遠くからの映像がモニターに映されていて、マシンが粉々になって宙を舞うのを見た私は、慌ててスクーターで現場に向かいました。現場には真っ二つになったマシンと、背骨がくの字に曲がって息絶えた体長1.5m位の鹿が! 東選手は幸いにも意識があり、救急車でメディカルに運ばれました。メディカルでは私が東選手から状態を聞き、ドクターコスタ(当時のWGP専任イタリア人ドクター)に伝えて処置をしてもらいました。ちなみにその後、再び現場に行ってみると、それほど時間は経ってないのに鹿はすでにいなくなっていて、「地元の人たちが鹿鍋にしたのでは?」とウワサされていました……。

幸いにも東選手のケガは全身打撲で済んだのですが、その後に調子を落としてしまいました。ちなみにこの年のチャンピオンは、一度も優勝がなくコンスタントに上位入賞を続けたエミリオ・アルサモラ選手。またひとつ、レースやチャンピオンシップを戦うことの難しさを痛感させられました。

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最終更新:2019/12/10(火) 5:31
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