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異業界に転身後のキャリアプランは?「新たな夢への飛び込み方」

2019/12/10(火) 20:01配信

FINDERS

11月7日に行われた「MASHING UP Vol.3」の「新たな夢への飛び込み方」をテーマにしたカンファレンスでは、会社員からまったく異ジャンルの道に飛び込んだお2人が登壇。

1人目は、長年企業戦士としてIBMに勤務し、なんと退職後の65歳の時に一念発起して保育士になった高田勇紀夫氏。そしてもう1人は、東大、ハーバードビジネススクールを経て、大手外資コンサル企業マッキンゼー・アンド・カンパニーで勤務後、華道家の道を選んだ山崎繭加氏だ。

MCを務めたのは、こちらも外資系企業や「ほぼ日」のCFOなどのさまざまなキャリアを重ねてきた、篠田真貴子氏。

思い切った転身のきっかけ、そして、飛び込んだ先のやりがいやキャリアプランとは? 当日のイベントから一部抜粋・編集の上、レポートしたい。

大胆な転身のきっかけは?

篠田:今でこそ高田さんは保育士、山崎さんは華道家に転身されましたが、学校を出て就活を経て企業に入社したのは、多くの人との共通体験だと思います。1社目に入社したときの動機はいかがでしたか?

山崎:大学時代は日米学生会議の活動をしていたのでとにかく忙しくて、就活の準備が大変なところはエントリーできなかったのですが、唯一受かったのがマッキンゼーだったんです。

篠田:その後も東大やHBSなどでもキャリアを積まれましたが、どんな部分で仕事に熱中しましたか?

山崎:マッキンゼーにいた頃はひたすらハイテンションに働き、頭を動かしまくってインパクトを出すことに、東京大学では、私が珍しく民間出身のスタッフだったので、それを生かしながら大学を変えていくことに熱中しました。HBSでは日本を代表し、日本について研究してもらったり、教材を作ってもらったりすることに熱中していました。

篠田:だんだん視野が広がり、ご自身のテーマが見えてそれを追求していく流れだったのですね。高田さんはいかがでしたか?

高田:私が社会に出たときはちょうど高度成長期で、IBMでは社長以外の仕事はひと通り経験しました。営業時代は都市銀行の担当になり、挨拶に行ったら名刺を破られ、出入り禁止にされたことも(笑)。歩合制だったので、本店ビルの喫茶店に通い詰めて役員たちにどうにか顔を売り、経理部長から発注いただいたのを突破口に、2年目にしてようやく出禁が解けました。

篠田:当時は世の中全体にヒエラルキーがあって、特に都市銀行は序列社会の最たる組織でしたよね。私自身も外資出身で、外資は序列外で少し下に見られるところがあったので、やりにくさがよくわかります。土日もエネルギッシュに仕事に熱中して、家事や育児は奥様という役割分担だったのですか?

高田:まさにその通りで、平日は毎晩夜遅くまで、土日も仕事に明け暮れるような生活でした。今は反省していますが、まさに昭和の男ですから、当時は、男は外で稼いで女性は家を守るものという価値観を持っていました。

篠田:その考えが変わるきっかけはなんでしたか?

高田:4年前、保活に失敗した女性が仕事を失うという新聞記事を見て、衝撃を受けました。保育園が見つからずに仕事を失うなんて、私のそれまでの人生では想像もしなかったことです。その3カ月後、別の起業家の女性が念願の子どもができたものの、保育園が見つからず、自殺さえ考えたという雑誌の記事を読んで、これは大問題だと思いました。政府はだいぶ前から育児のインフラ整備について手は打っているものの、改善していないのが現状。ならば自分ができることをしようと決意したのが、保育士になろうと思ったきっかけです。

篠田:高田さんと同じように昭和の時代からエネルギッシュに働いて定年を迎え、同様のニュースを見た男性は大勢いると思います。それを自分事として危機感を持ったのはなぜですか?

高田:「何かをしないとまずい」という内側から沸き起こる問題意識がありました。頭で考えるよりもやってみようと思ったものの、幼稚園と保育園の違いさえわからない、ピアノも弾けない、ないない尽くしでしたね。子育てを妻任せにしてきた贖罪の気持ちも少なからずありましたが、妻の大反対にも遭いました。

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最終更新:2019/12/10(火) 20:01
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