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愛甲猛が明かす根本陸夫と星野仙一の 人心掌握術「選手を尊敬してた」

2019/12/10(火) 6:10配信

webスポルティーバ

根本陸夫外伝~証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実

連載第5回

証言者・愛甲猛(5)

ヤクルトに移籍した辻発彦が戸惑い。「こんなチームに負けたのか?」

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 1981年4月6日、川崎球場での対西武戦。ロッテ入団1年目の愛甲猛はプロ初登板を果たした。3対7と劣勢の8回、三番手での"敗戦処理"だったが、山崎裕之に本塁打を浴びるなど3失点。6月25日には同じ西武戦で初先発するも、初回から乱調で2回持たずに降板。2000年まで20年間続いた現役生活は、根本陸夫が監督を務めるチームに痛い目に遭いながら始まっていた。実際、新生ライオンズにどんな印象を持っていたのか──。愛甲本人に聞いた。

「まずユニフォームから斬新でしたよね。ベルトが野球用の形じゃなかったり、手塚治虫さんのレオ(『ジャングル大帝』)がペットマークだったり。それで僕は最初、ファームの試合でよく投げていたんですけど、西武のバッターは手袋をしてなかったんです。聞いてみたら、『素手でバットを振る感覚がわからないで打てるわけがない。わかってから手袋するようにしろ』って、根本さんから通達があったらしくて。そういうところまでちゃんと管理されているのか、と思って見てました」

 同じファームで驚かされたのが、81年にドラフト外で西武に入団した2人の新人選手だった。秋田・金足農高出身で投手の小野和幸と、熊本・八代高出身で外野手の秋山幸二。いずれも愛甲と同世代で、小野はイースタンで歴代最多の15勝を挙げ、シーズン終盤に一軍登板を果たす。一方の秋山はバットに当たれば途轍もない飛距離を見せていた。

「どこまで飛ばすんだ? コイツ......って言いたくなる打球ですよ、秋山は。よその球団だったら、いきなり一軍でしょう。でも西武は二軍でみっちり鍛え上げて、アメリカの1Aで野球留学も経験させて、4年目から本格的に一軍でゲームに出したらもう下に落とさなかった。スターをつくる、育てる、チームの人気を高めていく上での戦略もすごかったと思います。それはロッテにはなかったし、瞬間的な気分で『ファームに落とせ』って言う監督もいたぐらいで」

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最終更新:2019/12/10(火) 6:10
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