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松坂大輔が着ける西武の背番号16、過去にどんな選手が着けていた?

2019/12/11(水) 10:57配信

週刊ベースボールONLINE

 2019年12月3日、西武が中日を退団していた松坂大輔の獲得を発表した。2006年オフにメジャーに移籍してから14年ぶりの古巣復帰となり、背番号はかつて所属していたときの「18」ではなく、「16」を背負うことになった。では、西武の背番号16は、過去にどんな選手が背負っていたのかご存じだろうか。

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黎明期はチーム初優勝の原動力が背負った

 前身チームを含め、西武の歴史上最初に背番号16を背負ったのは北川桂太郎だ。北川は1946年にセネタースに入団し、1950年のリーグ再編によって誕生した西鉄クリッパース(西武の前身)に加入した選手。しかしシーズン中に毎日の今久留主淳、小田野柏との交換トレードで放出され、残りのシーズンは今久留主が16番を着けることになった。

 クリッパースからライオンズと球団名が変更となった1951年は、新加入の大津守が今久留主から16番を受け継いだ。大津は1954年に18勝11敗の成績でチームのリーグ初優勝に貢献し、1955年も21勝とチームの主力として活躍。1958年に近鉄に移籍するまで16番を背負った。大津の次は東北高校から入団した佐藤好夫に16番が引き継がれたが、2年間で登板はわずか1試合に終わっている。

1960年代は野手が16番を着けたことも

 1960年からは、アンダースローの名手・安藤敏雄が引退する1965年まで6年間16番を背負った。1966年はドラフト1位で入団した浜村健史、1968年は新人の柳田俊郎が16番を受け継いだが、実はこの2人は野手。「16」は投手が背負う番号というイメージが強いが、野手が着けたこともあるのだ。

 1969年、大洋から移籍してきた投手の羽里功が16番を担うが、残念ながら1勝も挙げることができずこのシーズンをもって引退した。

 引退した羽里の次は新人の三輪悟が16番を受け継ぐ。当時の西鉄は、選手が八百長に関与したとされる、いわゆる「黒い霧事件」の影響で主力投手を失っていたが、三輪や加入3年目の東尾修が大車輪の活躍でチームを支えた。

 73年に西鉄は太平洋クラブとなったが三輪は1974年オフに広島の松林茂(太平洋クラブは他に米山哲夫、広島は西沢正次)とのトレードで移籍。代わりに松林に16番が与えられた。その松林も1976年オフに中日にトレードとなり、次はそのトレードで中日から加入した竹田和史が16番を引き継ぎ、1978年まで背負った。

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最終更新:2019/12/11(水) 11:43
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