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立浪和義、中村武志、山崎武司、関川浩一、井上一樹……福留孝介&小野和幸、山本昌広、今中慎二、与田剛、川上憲伸、野口茂樹、落合英二……岩瀬仁紀「昭和から平成へ。竜の戦士たち」/プロ野球20世紀の男たち

2019/12/13(金) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。

山本昌×山崎武司 中日OB対談「ドラゴンズ愛を貫くヤマヤマコンビ」

星野監督2年目の歓喜

 中日のエースナンバー20を背負い、V9巨人に牙をむき続けた星野仙一が監督に就任したのは1986年のオフ。最初の仕事は、ロッテで2年連続3度目の三冠王に輝きながらも、移籍を志願していた落合博満の獲得だった。

 迎えた87年は新人の近藤真一が初登板ノーヒットノーランというプロ野球で初めての快挙を成し遂げる一幕もあったが、2位。そのオフのドラフト1位で入団したのが、長く主力を担い続ける立浪和義だった。その存在で遊撃の宇野勝は二塁にコンバートされ、立浪は開幕戦から遊撃手として先発出場。のちに二塁打でプロ野球の頂点に立つことになるが、初安打も二塁打だった。

 未完成だったが、主に二番打者として優勝に貢献して新人王に。このときのリードオフマンが彦野利勝で、90年代に入ると立浪が一番、彦野は二番が多くなり、このコンビは彦野が91年にサヨナラ本塁打の後にアキレス腱を離脱する悲劇に見舞われるまで続いた。ちなみに、彦野の後釜として二番に入ったのは種田仁。のちにガニ股の打撃フォームでインパクトを残すが、やはり未完成で、守っても二塁に入り、立浪が二塁に転向すると遊撃へ回って、立浪とは二遊間でもコンビを組み続けている。

 90年代、一貫して司令塔を担った中村武志のブレークはVイヤーの88年。82年MVPの中尾孝義が外野に転向したことで定着、その後は投手の長所を引き出すリードで投手陣の信頼を集めていく。

 絶対的クローザーとして88年にMVPとなった郭源治については、すでに紹介した。先発の柱となったのが右腕の小野和幸。西武では7年間で15勝に終わっていたが、中日1年目から18勝で最多勝に輝いている。優勝を争う終盤、救世主となったのが山本昌広(山本昌)。50歳まで現役を続け、つい昨日まで現役だったような印象すらある左腕だが、当時はプロ5年目の23歳で、アメリカ留学から帰国して無傷の5連勝、90年代には最優秀防御率1度、最多勝2度と全盛期を迎えた。

 その山本と競うようにポーカーフェースで投げ続け、93年に17勝で最多勝となったのが今中慎二だ。ただ、長く現役を続けた山本とは対照的に故障が続き、Vイヤーの99年には5試合の登板にとどまっている。90年に新人ながら最優秀救援投手、新人王となり、現在は監督を務める与田剛も故障に苦しんだ右腕。名前から“剛球投手”とも言われたが、その“剛球”は諸刃の剣でもあった。

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最終更新:2019/12/13(金) 16:42
週刊ベースボールONLINE

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