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ロシアが北方四島を返還できなくなった「本当の事情」

2019/12/13(金) 11:58配信

PHP Online 衆知

2018年9月にロシア極東のウラジオストクで開催された「東方経済フォーラム」で、各国の首脳が登壇する全体会合の席上、プーチン大統領が突如として「年内にいかなる前提条件も設けずに平和条約を結ぼう」との提案を安倍首相に行い、大きな注目を集めた。

ロシア研究者で軍事アナリストの小泉悠氏は、著書『「帝国」ロシアの地政学』にて、現在まで続く北方領土問題をめぐる日ソ・日露間交渉の歴史を紐解きつつ、プーチン大統領の発言から、日本という国をロシアが安全保障上どのように捉えているかを詳細に解説している。本稿では、その一節を紹介する。

※本稿は小泉悠著『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版刊)の内容を一部抜粋・編集したものです
※なお、小泉氏は同作にて「第41回サントリー学芸賞〔社会・風俗部門〕」を受賞しました

北方領土問題の始まり

第二次世界大戦末期、日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦したソ連軍は、日本によるポツダム宣言受諾後も戦闘を続け、1945年9月1日までに国後、択捉、色丹の3島を占拠した。

日本政府が米戦艦ミズーリ艦上で降伏文書に調印した後もソ連軍の侵攻は続き、9月5日には歯舞群島のすべてがソ連軍の占領下となった。

現在まで続く、北方領土問題の始まりである。

戦後の1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約第2条c項では、「日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する」と定められたことから、一見すると日本は北方四島を放棄してソ連の占領を追認したように見えなくもない。

ただし、条約の文言には「誰に対して」放棄されるのかは明示されなかった。当初、ソ連側はc項に「ソ連の完全な主権」という文言を入れるように主張したが容れられず、結局、条約に調印しなかったためである。

1956年に結ばれた日ソ共同宣言第9条では、「日ソが平和条約を締結したのちに、歯舞群島と色丹島を引き渡す」ことが定められた。

歯舞群島と色丹島は北海道の一部であり、放棄された千島列島には最初から入っていないという日本の立場を難交渉の末にソ連に認めさせた結果であるが、残る国後島と択捉島の扱いについては玉虫色の決着となった。

共同宣言本文からは「領土問題を含む平和条約」という文言が削られる一方、日本の松本全権とソ連のグロムイコ首相が「領土問題を含む平和条約締結に関する交渉を継続することに同意する」とした書簡(いわゆる「松本・グロムイコ書簡」)を公表したのである。

しかし、日ソの平和条約交渉はその後、停滞の時代に入る。1960年の日米安保条約改定を受けてソ連は対日姿勢を硬化させ、領土問題は解決済みという立場をとるようになった。

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最終更新:2019/12/13(金) 11:58
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